喜ばしいがどこかひっかかる日本被団協のノーベル賞受賞、彼らの訴えの「芯」をノーベル委員会は見落としていないか
■ 「戦争で受けた被害、国民はただ受忍せよというのか」国家補償を求めた闘いの歴史 この基本要求が1984年に策定された背景には、そのさらに4年前の1980年に厚生大臣(当時)の私的諮問機関「原爆被爆者対策基本問題懇談会」(基本懇)の答申がある。これによって示されたのは、原爆資料を含めた戦争被害に対する、国の冷たすぎる姿勢だった。 こういう内容だ。 「およそ戦争という国の存亡をかけての非常事態のもとにおいては、国民がその生命・身体・財産等について、その戦争によって何らかの犠牲を余儀なくされたとしても、それは、国をあげての戦争による『一般の犠牲』として、すべて国民が等しく受忍しなければならない」 つまり、国家の非常事態である戦争では、皆大変だったのだから、生命や身体などに何らかの被害を受けても、そんなものは我慢せよ、ということだ。 この「戦争被害受忍論」の考えが最初に示されたのは、1968年。戦争で失った海外資産の補償を求めた裁判での最高裁判決が打ち出した理屈だった。そしてそれはそれ以降半世紀以上ずっと、この国に生き続けている。大戦末期、東京や大阪を焼け野原にし、多くの人命を奪った米軍による空襲の被害についても、「受忍せよ」の論理で戦災被害者たちの訴えを退けている。 原爆被害に対する国の責任をきちんと問い、国の補償をはっきり確立することが、再び惨禍を繰り返さないために必要不可欠であると日本被団協は訴えてきた。広島弁について書いた9月6日の本連載で触れた、日本被団協初代事務局長の藤居平一氏(1915~1996)の評伝のタイトルにもなった彼の言葉「まどうてくれ」(「元通りにしてくれ」「償ってくれ」の意)は、まさに国家補償を求める悲痛な叫びの象徴のような言葉なのだ。 なのに、どうしてノーベル委員長はこの部分について、一言も言及してくれなかったのだろうか。被爆者たちの悲願が結実し、2021年に発効した核兵器禁止条約に対してのみならず、国家補償の援護にも背を向けている日本政府に対して、なんらか配慮のようなものがあったのだろうか、などと考えるのは穿った見方だろうか。