元スパイ襲撃事件で深刻化する英露対立 反プーチンで西欧は結束するか
イングランド南西部のソールズベリーで今月4日、ショッキングな事件が発生した。市内のショッピングセンターの外に置かれたベンチで横たわる男女が発見され、市内の病院に緊急搬送されたが、数日後にロンドン警視庁が「2人は綿密な計画の下で、神経ガス攻撃の標的にされた」との公式見解を発表。現在も重篤状態で入院中の2人は、元ロシア軍情報機関将校のセルゲイ・スクリパル氏と娘のユリアさんで、スクリパル氏は過去にイギリス諜報機関にロシアのスパイ活動に関する情報を提供する「ダブル・エージェント」として活動していた。12日にはイギリスのメイ首相が議会で、犯行に使用された神経ガスが旧ソ連で開発された「ノヴィチョク」であったことを明かし、ロシア政府からの説明を要求したが、ロシア側はこれを拒否。英政府は14日にイギリス在住のロシア人外交官23人の追放を決定した。対するロシアも17日にイギリス人外交官23人の追放を発表しており、ロシア大統領選を前に英露間の対立が深刻化した。
神経ガスを使った暗殺未遂に残る謎
何者かによって娘と共に神経ガス攻撃の標的となったセルゲイ・スクリパル氏は、ロシアの飛び地として、ポーランドとリトアニアに隣接するカリニングラードで生まれ育ち、モスクワの工兵士官学校を卒業後にロシア軍空挺部隊に配属された。その後、現在のロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)に移り、情報将校としてマルタとスペインで活動していた。マルタの地元紙「マルタ・トゥディ」は7日、スクリパル氏がソ連崩壊前の1985年からマルタのソ連大使館で勤務していたと報じている。 スクリパル氏は90年代中旬からスペインでの勤務を開始。スペイン時代の肩書は駐在武官であった。英紙「タイムズ」は10日、英諜報機関MI6がスペイン時代のスクリパル氏に接触し、二重スパイとして英側に情報を提供するように要請したと報じている。タイムズの報道によると、スクリパル氏に最初に接触したのはスペインの情報機関であったが、後から接触してきたMI6が好条件を出したため、スペイン側のリクルート活動は失敗に終わったのだという。スクリパル氏はその後、ヨーロッパ各地で諜報活動に従事していたロシア人スパイの個人情報などをMI6に提供し、その見返りとして金銭的な援助を受けていた。 スクリパル氏にとって人生の転機となるイベントが、2004年から2010年にかけて相次いで発生する。2004年12月、モスクワに戻っていたスクリパル氏はスパイ容疑で拘束され、2006年8月の軍事法廷(非公開)で有罪判決を下された。スクリパル氏には13年の禁固刑が科せられた。しかし、2010年6月にアメリカ国内で諜報活動を行っていたロシアの工作員10人が逮捕され(「美人スパイ」と世界中で報じられたアンナ・チャップマンも逮捕者の1人)、翌月にアメリカとロシアの間で「スパイ交換」が実施された。複数のメディアは米露によるスパイ交換が行われる直前、イギリスがアメリカにスクリパル氏もスパイ交換の対象にしてほしいと要請したと報じており、スクリパル氏は当時のメドベージェフ露大統領に恩赦を与えられる形でロシアを離れ、スパイ交換を経てイギリスで暮らし始めた。 イギリスはこれまでにもロシア人政治亡命者を多数受け入れており、イギリス在住のロシア人亡命者の中にはプーチン政権と真っ向から対立している人物も少なくない。しかし、スクリパル氏はイギリス定住後にソールズベリーで家を購入し、少なくとも表向きはプーチン政権やロシアに対する批判とは距離を置いた、静かな生活を送っていた。妻が2012年に子宮内膜がんで他界しているが、娘のユリアさんはモスクワで普通に生活しており、たびたびソールズベリーで暮らす父のもとを訪れていた。スクリパル氏の長男は昨年3月、サンクトペテルブルグ滞在中に急死しているが、死因は不明だ。メドベージェフ大統領によって恩赦を与えられ、スパイ交換を経てイギリスに移り住んだスクリパル氏がなぜ神経ガスを用いた殺人未遂事件の標的になったのかは、現在も多くの謎が残されたままである。