元スパイ襲撃事件で深刻化する英露対立 反プーチンで西欧は結束するか
メイ首相は12日、議会で犯行に使用された神経ガスが冷戦時代に旧ソ連で開発・製造された「ノヴィチョク」であったことを明らかにかした。ロシア語で「新人」を意味するノヴィチョクは、1970年代から開発が進められ、VXガスよりも5倍から8倍程度強力な化学兵器であるとされる。ニューヨークタイムズ紙は1999年5月にアメリカとウズベキスタンがウズベキスタン国内にある化学兵器研究施設の取り壊しで合意に達したと報じ、施設の解体と除染にかかる費用をアメリカが負担することなども伝えたが、この施設こそが旧ソ連時代にノヴィチョクの開発拠点として使われていた場所であった。ノヴィチョクは現在ロシアが保有しているとみられるが、国家レベルで管理されているはずの強力な神経ガスが、なぜイギリスで使用されたのかについて、ロシアは明確な説明を行っていない。
英国で相次ぐロシア人亡命者の不審死
ロシア諜報機関の歴史は長い。現在はロシア連邦保安庁(FSB)やロシア対外情報庁(SVR)など複数の組織に権限が分割されているが、プーチン大統領がかつて勤務していた旧ソ連国家保安委員会(KGB)は、1954年設立からソ連が崩壊する1991年まで東側陣営最大の諜報機関として君臨した。KGBが設立される以前には、ロシア革命後にレーニンやスターリンによってチェーカーや国家政治保安部(GPU)といった組織が作られ、ソ連国内における密告網の構築や反体制派の弾圧や暗殺が組織的に行われた。 軍の諜報機関となると、その歴史はさらに古く、帝政ロシア時代の1810年にはバラクライ・ド・トーリ将軍によって初めて軍直属の情報部が設立されている。諜報機関の長い歴史に比例する形で、ソ連時代から多くのスパイや反体制分子とされる人々が殺害されており、海外での暗殺事例も珍しくない。ロシア革命におけるリーダー的存在の1人で、ソ連誕生後も共産党政治局のメンバーとして絶大な影響力を誇っていたレオン・トロツキーは、党内部の権力闘争に敗北し、亡命者として数か国を転々とする流浪生活を強いられたが、1940年にメキシコの自宅でソ連の工作員によって暗殺されている。 「暗殺の歴史」は現在も続いており、2006年11月にはイギリスのロンドンで元FSB職員のアレクサンドル・リトビネンコ氏が体内に放射性物質ポロニウムを混入され、約3週間後に死亡する事件が発生した。リトビネンコ氏は1998年にロシア国内で同僚数名と記者会見を開き、FSBの上司からオルガリヒ(新興財閥)の代表的人物であったボリス・ベレゾフスキー氏の暗殺を指示されたと告発していた。当時のFSB長官はプーチン氏であった。 告発から間もなくして、リトビネンコ氏は職権濫用罪で逮捕されるが、2000年にトルコ経由でイギリスに亡命。ロンドンからプーチン政権の暗部を告発する情報を発信していたが、2006年に暗殺された。容疑者としてイギリス政府が身柄引き渡しを要求していた元KGB職員のアンドレイ・ルゴボイ氏は、現在はロシアで国会議員として活動している。前述のベレゾフスキー氏は、2013年3月にロンドン近郊の自宅で首つり遺体で発見された。自殺とされているが、他殺説も根強く残る。ベレゾフスキー氏の盟友であった元アエロフロート社幹部のニコライ・グルシュコフ氏も、2010年から亡命者としてイギリスで生活していたが、今月12日にロンドンの自宅で死亡しているのが発見された。ロンドン警視庁は16日にグルシュコフの不審死について、殺人事件で捜査を開始したと発表している。 グルシュコフ氏の不審死とスクリパル氏に対する殺人未遂に接点は見られないが、イギリス国内では以前からロシア人亡命者らの「不審死」が相次いでいる。2012年にはロシア政府高官の汚職に関する資料をスイス検察に提供したロシア人実業家が、イングランド南東部サリーの自宅近くをジョギング中に急死した。ラッド内相は13日、イギリス国内における14件の不審死にロシア政府の関与が存在したのかを再調査するよう、警察と保安局に命じたことを内務委員会委員長への書簡で明らかにしている。