五木ひろし 「リングアナウンサーに…危うく」代名詞の「こぶし」誕生秘話「暴漢が襲ってきても蹴れると」
演歌歌手の五木ひろし(76)が8日放送のBSフジ「昭和歌謡パレード」(水曜後10・00)に出演。代名詞でもある歌唱時の「こぶし」誕生の秘話を明かした。 五木は1965年、松山まさるの芸名で歌手デビュー。その後、一条英一、三谷謙と改名を繰り返し、1970年に「全日本歌謡選手権」に出場。グランドチャンピオンに輝き、“五木ひろし”として再デビュー。デビュー曲「よこはま・たそがれ」が大ヒットし、その後もヒット曲が続き、人気歌手の仲間入り。NHK紅白歌合戦にも1971年から50回連続出場を果たした。 MCの中山秀征から歌唱時の「こぶし」について代名詞として紹介されると、五木は「事務所(野口プロ)がキックボクシングの事務所でしたから、そこに何でか、僕、入れられちゃったんですよ」と苦笑。中山も「なんでキックボクシングの事務所に歌手が入るんですか?」と驚くばかり。 当時、野口ジムに所属していた「キックの鬼」と呼ばれていたキックボクサー・沢村忠さんが歌を出し、その詞を五木の恩師である作詞家の山口洋子さんが担当。その縁で、山口さんの紹介で事務所に入ることになったといい、「僕、入ったはいいものの、選手ばっかりいるんですよ。タイの選手はいるし、日本の選手はいるし。目黒通りでガラス張りで見えるわけですから、練習しているところが。リングがあるんですよ」と苦笑した。 「会長のおばあちゃんが僕のこと全然知らなくて“あんた声がいいんだって”って。“だったらリングアナウンサーでもやったら”って。“僕、歌手で入ったんです”と。しばらく灰皿取り替えたり、テーブル拭いたりしてたんですよ。ひょっとしたら、リングアナウンサーにならされるかもしれなかったんですよ、危うく。何にも知らない事務所ですよ」と笑った。 そんな中でも、五木は「前に空手もやってたので、キックもやってて。選手にだってなれる気でいましたから。練習してました」と告白。「もちろん、ボクサーになる気はないんですけど、ハンドマイクになって、この形が出たんですよ。左手でマイクを持って、右手でこぶしと。ちょっと半身に構えて。暴漢が襲ってきても蹴れると。右手は空いてるし。ホント自然と出来上がったあのポーズなんですよ」と明かした。