「動物」を研究する生態人類学者・山口未花子が心動かされた、ウマと人類の交流を描いた小説 芥川賞作家・九段理江の『しをかくうま』の読みどころ(レビュー)
久しぶりに研究書ではない小説をよんだからか、はじめなかなか世界に入り込めないようなもどかしさを覚えた。私が専門にしている人類学の民族誌なら、いつどこで調査が行われ、なにに焦点をあてて書かれているのかはその本のタイトルや、序文、目次などに目を通すことで大体つかむことができる。しかし『しをかくうま』は、タイトルからして何を指しているのかがよくわからないし、よみ進めても、いつの時代の誰の物語なのか情報が断片的であるうえに、複数の時代と登場人(馬)物からなる場面のパッチワークのような構成なのでなかなか全容が見えてこない。 しかしそのわからなさが、逆に理解したいという気持ちに変わり文字を追い続けるうちに、だんだんそれぞれの場面が輪郭を結び繋がって全体が描き出されていく。その感覚は遠い外国のはじめて入る土地で、出会った人々の話をきき、狩猟を教わり、ともに食べたり喜んだり悲しんだりするなかで、人々や森や動物たちのことが少しずつわかるようになり、そうしたものたちが作り出す共同体のかたちが見えてくるというフィールドワークの経験に似ている気がした。 私は動物のことを知りたくて研究を始めたのだが、それは単に知識として理解するということだけではなく、自分も動物として動物たちとともに暮らしたいという漠然とした思いがあり、そうした動物への感情もふくめてのことだった。そんな私がたどり着いたのはヒトという種がその歴史のほとんどの時間を過ごした狩猟採集という営みであり、初源的な動物との関係はどのようなものなのかを北米の狩猟採集文化に学ぶという方法だった。だから『しをかくうま』のなかで私が特に面白く感じたのは、ウマとヒト(らしきもの)のはじめての出会いと思わしき場面である。 ウマという動物が人にとって特別な存在であることは様々な分野において指摘されている。例えば古代の洞窟壁画に描かれている動物をみると、利用されていた頻度は他の動物に比して低いのにウマは最も多く描かれているモチーフのひとつである。また、ちょうど私の研究室に内モンゴルの遊牧民の家庭で育った学生がいて、いかにウマが素晴らしい存在なのかを教えてくれる。それはウマの美しさであり、ヒトを乗せてとても速く走ってくれること、その賢さがヒトを救ってくれた話、そしてウマとともにいるときに湧き上がる嬉しい気持ちなどである。私も含めてウマといると嬉しくなるということは多くのヒトが感じることではないかと思うが、実は嬉しくなるのはヒトだけではなくウマの側もであるという心理学的な研究もある。 しかし根源にたちかえるなら、ヒトとウマはいつから、なぜひかれあうのか、その理由を明示することは学問には難しい。わたしが『しをかくうま』を読んで心うごかされたのは、どうしてもわからないこととして蓋をしてしまいがちな、ヒトとウマが出会い種を超えてひかれあう気持ちの根源を作者の「ことば」が想像させてくれたからかもしれない。 [レビュアー]山口未花子(文化人類学者、生態人類学者) 協力:河出書房新社 河出書房新社 文藝 Book Bang編集部 新潮社
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