「私たちは娘を殺された」「なぜ千奈の生きる権利を奪ったのか」両親の悲痛な叫び 通園バス女児置き去り死事件で意見陳述【全文掲載】
川崎幼稚園を信頼して子どもを預け、いつもの様にバスに乗り登園しただけなのです。元理事長はなぜ安全に対する意識を持って業務を行えなかったのか、元担任はなぜ違和感に気づいていながら行動しなかったのか、なぜ千奈の生きる権利を奪ったのか、理解に苦しみます。誰を信用したらいいのかわかりません。 元理事長は第二回公判で、裁判長の廃園に関する質問に対し、「今でも信頼して通っている保護者が居るから」と発言しました。私達遺族がいる前で言う言葉ではないと思いました。他の言い方がいくらでもあったと思います。元理事長は、遺族に少しでも寄り添っていきたいと言葉では言うものの、その言葉選びの配慮の無さ、当事者としての意識の低さ、数々の不誠実な対応に、私達遺族は深く傷つき、怒りと憎しみの気持ちでいっぱいです。また、被告人の親族が情状証人として参加していないことも、この事件に対して何も思うことがないのかと感じ、ショックを受けました。 事件から1年9か月が経った現在でも涙を流さない日はありません。一日一分一秒も千奈のことを考えないときはありません。自然と涙が溢れます。千奈と過ごした時 間が過去になり、思い出も増えることがなく、記憶が少しずつ薄れていくのではない かと怖くなります。たった3年11か月しか生きることができなくて、生きさせてあげられなくて、ごめんなさい。親として我が子を失う事ほど、辛く残酷なことはありません。この先もずっと助けてあげられなかった事を一生後悔しながら苦しんでいくのです。両被告人はこの苦しみを理解してください。 福岡県中間市の保育園で起きた同様の事件がありました。裁判長、裁判官の皆様には、過去に起きた事件から何も学ぶ事もなく、わずか一年足らずで今回の悲劇を繰り返した事実を加味していただき、私達遺族に少しでも寄り添った判決を願います。 刑務所とは罪を償いに行く場所だと認識しています。被告人が罪を重く受け止め、 たとえ少しでも刑務所に行くことが償いになるのだと、私は思います。もう何をして も私達の大切な千奈は戻ってきません。実刑を望みます。
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