「私たちは娘を殺された」「なぜ千奈の生きる権利を奪ったのか」両親の悲痛な叫び 通園バス女児置き去り死事件で意見陳述【全文掲載】
千奈とは毎日「大好き」の言葉を必ず交わしていました。私が「千奈ちゃん大好き」と伝えると、千奈も「ママ大好き」とニコッと笑って返してくれました。寝るときは千奈の右手を私が両手で握りしめて一緒に寝ていました。手を握ると安心して寝てくれましたし、私自身も安心して眠りにつくことができました。妹が産まれてからも少しでも千奈との時間を作り、「ママ抱っこ」と甘えてくれるので沢山抱きしめてあげました。千奈は私の宝物です。 私は千奈を大切に、大切に育ててきました。お腹の中にいることが分かったときか ら、9月5日、朝バスに乗せるときまで必死に千奈を守ってきました。いつも千奈の 笑顔が見たい、千奈の成長を見守って、私の命が果てるまで千奈と一緒に生きていたかった。家族四人で幸せに暮らしたかった。全てを奪った加者者を絶対に許すことはできません。 2歳になる次女はすくすくと成長し、千奈の遺影を見てお姉ちゃんのことを「ねぇ ねぇ」と言います。千奈の声にそっくりになってきました。その次女が泣いてぐずると、千奈がバスの中で一人泣いていた事や、手にケガを負いながら必死に助けを求めていた事を想像してしまい、私は取り乱しパニックになってしまいます。次女の育児もその影響により、とても辛く苦しいです。千奈がいなくなり情緒が不安定になり感情が抑えきれないこともあり、家の中で千奈を探し回り、夜中外に千奈がいるのではないかと思い、外に出たりしてしまいます。事件後から現在も夫婦で精神科に通院しています。 幼稚園に通い始めたのは千奈が3歳半になってからです。それまでは生まれてから 片時も離れずに一緒に居ました。これから沢山の経験をつみ成長していく姿を見たかったです。遠足や運動会、発表会など、なにも経験させてあげることが出来ませんでした。千奈はお友達も多く、家ではお友達の名前を、私に沢山教えてくれました。中には「今日は千奈ちゃん居るかな?」と言いながら登園してくれたお友達や、「千奈ちゃんが居るから幼稚園に行く」と言ってくれるお友達がいたことを、事件後に知りました。夏休み明けの初登園の際もクラスの人気者だったことを、元担任から聞きました。お友達と仲良くすることができ、千奈なりに頑張っていたのだと思い、胸が熱くなり涙が溢れました。
【関連記事】
- 「千奈のもとに行きたい」踏みとどまる日々…遺族が感じる怒りと孤立感【「消えぬ、濁り」(1)バス置き去り死から1年】
- 「なんで自分たちの子どもが他人に殺されないといけないのか」父親がSNSで声を上げ続ける理由【「消えぬ、濁り」(2)バス置き去り死から1年】
- 理事長は声を荒らげ「分かりましたよ 書きますよ」なのに…廃園へ踏み出さないこども園への憤り【「消えぬ、濁り」(3)バス置き去り死から1年】
- 「1人で亡くなった気持ちが分かりますか」遺族が元理事長に直接質問 園児バス置き去り死事件 初公判=静岡・牧之原市
- 「私が連絡しなかったことで起きた」園児置き去り死事件で2回目の公判 元クラス担任は遺族の問いに「私の責任」と答える 責任はどこに【詳報】=静岡地裁