日本全体が「貧困化」しているのか?「低・中所得者」が大幅に増加している現実を読み解く
労働力のプールが枯渇したとき、賃金はさらに高騰する
近年の日本で就業率が急速に上昇してきたのはなぜか。 女性であれば保育所の拡充や育児休暇の拡充といった各種制度、高齢者であれば継続雇用制度の義務化など政府の政策による影響は大きいだろう。あるいは女性や高齢者であっても働くことは当たり前だとする人々の意識の変化や、高齢者であれば年金の給付水準の抑制といった財政的な事情も大きな影響を与えているとみられる。 こうしたなか、労働市場のメカニズムから考えれば、本来は賃金水準も労働者の就労の意思決定と関係しているはずである。 労働者側の視点からすれば、たとえば定年後の人が新たな仕事を探すとき、時給800円の仕事しか見つからないのであれば、多くの人が働かずに引退しようと考える。しかし、時給1200円の仕事が見つかるのであれば、それより多くの人が引退せずにしばらくは働き続けようと考えるはずである。このように、賃金水準の上昇は労働参加を拡大させる効果を持つ。 一方、企業の視点で考えれば、労働市場に潜在的な労働力が大量に存在するのであれば、人手確保のためにわざわざ高い水準に賃金を設定しなくてもよいと考える。女性や高齢者が労働市場に参入しやすくなっている環境においては、企業が積極的に賃金を上げなくても、大量の労働者が自然に市場に流れ込んでくるからである。そう考えれば、これまで日本の労働市場は、大量に存在していた潜在的な労働力のプールが日本人の賃金水準を抑え込んでいた側面もあったのだと考えられる。 このように賃金水準と労働参加の動向は相互に関係している。そして、近年の日本の労働市場においては、わずかな賃金上昇であっても労働参加が急拡大するという意味で労働供給量は賃金に対してかなり弾力的な状況にあったのではないかと推察される。 しかしその一方で、ここまでの現象はあくまで過去の日本の労働市場において起きたことである。つまり、これまでの賃金や就業率の水準においては、労働供給が賃金に対して弾力的であったということであり、これ以降もそうであるという保証はない。 今後の労働市場を考えたときに焦点になるのは、日本人の就業率の上昇余地があとどれくらいあるのかということになる。 総務省「労働力調査」から就業者と就業希望者、失業者の推移をとってみると、これまでの局面ですでに就業希望者の多くが就業者に移行しており、失業者数も低い水準を維持している(図1-30)。こうしたデータをみると、潜在的な労働力のプールが枯渇に向かっていることは確かだろう。 将来、労働参加が限界まで拡大し、就業率が天井を迎えたときには、いよいよ賃金が上がっても労働供給量が増えない局面が訪れることになるはずだ。生産年齢人口が急速に減少する一方で医療・介護需要が増え続ける未来において、日本経済は労働供給が賃金に対して弾力性を失う局面をおそらく経験することになる。そうなれば、賃金上昇率はこれまでよりも加速することになるだろう。 それがいつになるかまではわからない。しかし、2010年代半ば以降そうした兆候は少しずつ顕在化してきている。 就業率の推移をみていると、特に高齢者については労働参加の余地がまだ十分に残っているような感じもするが、70歳を超えても80歳を超えても現役世代と同じように働き続けられる高齢者はそう多くはない。相対的に健康な高齢者は既にかなりの程度働きに出ているとも考えられるだろう。 そう考えれば、労働力のプールが枯渇することで賃金がさらに高騰していく未来は、そう遠くない先に訪れるかもしれない。
坂本 貴志(リクルートワークス研究所研究員・アナリスト)