「織田」のルーツは福井県。織田一族発祥の地とは?【毎日連載・名字365】
織田(おだ)
「織田」と聞くと、みなさん織田信長を思い浮かべます。信長は本能寺の変で長男信忠とともに討たれてしまいました。孫の秀信は助けられて織田家を相続しますが、関ヶ原合戦で西軍について敗れ、後に26歳で死去します。子どもはおらず、織田家は滅亡しました。 では、今の「織田」さんとはどういう関係にあるのでしょうか。 「織田」のルーツは福井県にあります。福井県丹生郡越前町織田がルーツの地で、ここにある劔神社の神官をつとめていました。劔神社には「織田一族発祥の地」という碑が建てられています。 なお、織田家では桓武平氏の末裔と称していましたが、これは自称にすぎず、実際は越前土着の一族で織田荘の荘官をつとめていました。 室町時代になると織田氏は守護斯波氏の家臣となり、勢力を蓄えていきました。そして、斯波義重が尾張守護を兼ねると守護代に抜擢されて尾張に転じたのです。 尾張の織田家は、やがて岩倉織田家と清洲織田家に分裂して争います。この清洲織田家には3つの分家があり、そのうちの1つ弾正忠(だんじょうのじょう)家に生まれたのが信長でした。 つまり、信長は織田家全体からみると分家の分家の生まれにすぎず、信長以外にも「織田」家はたくさんあったのです。従って、信長の直系は滅亡したものの、織田家の子孫はたくさんいるのです。 因みに、織田信長があまりにも有名なため、「織田」と書いて普通に「おだ」と読んでいますが、普通に読めば「おりた」のはずです。実際、「織田」さんの2割程は「おりた」と読み、「おりた」と読む「織田」さんもメジャーな名字です。とくに愛媛県や宮崎県などでは「おりた」と読む人のほうが若干多くなっています。
森岡浩/Hiroshi Morioka
姓氏研究家 1961年高知県生まれ。早稲田大学政経学部在学中から独学で名字の研究をはじめる。長い歴史をもち、不明なことも多い名字の世界を、歴史学や地名学、民俗学などさまざまな分野からの多角的なアプローチで追求し、文献だけにとらわれない研究を続けている。著書は「全国名字大辞典」など多数。
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