【都市化の残像】旭日の東京駅「日本人は驚いても走り出さなくなった」
「人間は都市化する動物である」。「しかしながら逆に、人間の心は、過去の記憶に満たされている」……。 建築家であり、多数の建築と文学に関する著書でも知られる名古屋工業大学名誉教授、若山滋さんは、人が持つ都市化へ進む力と、それに抗い、過ぎ去った時代の残像を懐かしむ反対のベクトルに着目しています。この連載では、若山さんが、具体的に街並みと建築を取り上げながら、「都市化の残像」を掘り起こし、その意味をつづっていきます。 ----------
日本人は驚いた。 見たこともない遠い国からやって来た大きな黒い船に驚いた。 一般の人は、その異様な姿に驚いた。 責任ある立場の人は、その大砲の威力に腰を抜かした。 道理の分かった人は、それが蒸気の力によって動くことに興味を抱いた。人類が今までに知っていた、風や、水や、人や、馬や、牛の力とはまったく異なる「燃焼の動力」である。近代的なエネルギーというものだ。 そして日本人は、お尻に火がついたように走り出した。 右往左往しながらも、明治維新という革命を起こし、その四年後には、その燃焼の動力をもって、新橋横浜間に汽車を走らせた。この「鉄道」こそは、近代の「都市化」における最大の立役者であったのだ。以後、日本人は、都市化の道をひた走る。 人類は都市化を続けている。 次第に速度を上げながら。
家や都市は、人間だけのものではない。 鳥もビーバーも、家をつくる。蟻も蜂も、都市的な空間に住む。 洞窟時代の人間に比べれば、そういった動物の方が高度な建築と都市をもっていたとも言える。しかし人間はその空間を不断に発達させ、今日のように高度で複雑な居住環境を築いてきた。 人類はその生態を変化させる動物なのだ。 人間は、道具を使い、農耕し、定住する。その居住地は、次第に大きくなり、密度が高くなり、宗教建築や宮殿建築が複雑化し、絵と文字と彫刻が現れ、道路が敷かれ、川に橋が架かり、水道が引かれる。やがてガス灯や電灯が灯り、鉄道の駅ができ、自動車が走り、高層化され、情報網が広がっていく。 人間は都市化する動物である。馬が走るように、鳥が飛ぶように、都市化する動物である。不可逆的に、加速度的に都市化する動物である。特に近年の、インターネットによるコミュニケーションは、人類にとってまったく新しいタイプの「都市化」が始まったと言っていいだろう。 今われわれは、都市について論じるよりも、この都市化という動態について論じる必要があるのだ。 しかしながら逆に、人間の心は、過去の記憶に満たされている。 人は常に、都市空間の昔日の姿、そこにあった街並、建物、樹木、草花、人々の生活の匂いを探し求めている。まるで先立たれた配偶者の姿を追うように、人間の心は過ぎ去った時代の残像を追おうとするのだ。文学、特に詩歌は、都市化に抗する郷愁に満ちている。動き出すバスの乗客が後ろに引っ張られるように、都市化というバスの中で、人間の心は常にその反力を受けている。 このコラムでは、われわれの周りにある具体的な街並と建築から、都市化の残像を掘り起こし、その意味を探っていこうと考える。そのことがそれぞれの人の心の残像にも意味を付加し、人生を豊かにすることにつながればと考える。つまり、このインターネットという新しい都市化ムーブメントの中においてこそ、「都市化の残像」は重要な意味をもつのではなかろうか。