「子役時代の輝きを失っていた」大物俳優との再会が転機に…真田広之64歳がアメリカで快挙を成し遂げるまで〈日本人初ゴールデン・グローブ主演男優賞〉
その日を境として《舞台でのやりとりも遠慮がなくなり、どんどんレベルが上がっていって、最後の1ヵ月は投げられた球を感じたまま返せる状態にまでなった。千秋楽が来ないでくれと思いました。この経験を境に、バックグラウンドや言葉が違っていても一丸となって一つの物を作る醍醐味を知り、国境を超えることが病み付きになってしまったんじゃないでしょうか》と、真田はのちに海外の映画にあいついで出演するようになってから顧みている(『婦人公論』前掲号)。それほどまでに真田にとって、シェイクスピア劇を本場の俳優たちと一緒に演じた経験は大きかった。
『ラスト サムライ』の演技が脚光を浴びる
明治初年の日本を舞台とした前出の『ラスト サムライ』で真田はトム・クルーズ演じるアメリカ人将校に厳しく接するサムライを演じ、脚光を浴びた。しかし、その後、ロサンゼルスに拠点を移してから出演した作品では、けっして華やかな役ばかりではなかった。それでも彼は淡々とこなし続けてきた。 それができたのは、真田は俳優として自分が目立つことを必ずしも求めていないからだろう。その姿勢は20代のときから一貫している。イラストレーターの和田誠は、初監督作品となる『麻雀放浪記』(1984年)の主演に真田を起用するにあたり、この物語は集団劇で、クセのある人物もたくさん出てくるため、あなたは主役とはいえ目立たない存在になるかもしれないがそれでもいいかと訊ねた。すると彼は《自分が目立つかどうか考えたりはしません。いい作品に参加したいと思うだけです》と答えたという(『アサヒグラフ』2000年4月28日号)。 後年にいたっても、チームで作品をつくり上げようという意識は強い。あるインタビューでは、役者として成功を収めるなかで手に入れたいものは何かと問われ、《自分が死ぬまでに少しでも向上して、より優れたクルーやキャストといいものを生み出せること。それがどこまで行けるかだし、それを続けられていることが幸せだし。それを分かち合える仲間がいることで、幸せが倍にも3倍にもなる》と答えている(『anan』2010年4月28日・5月5日号)。
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