「子役時代の輝きを失っていた」大物俳優との再会が転機に…真田広之64歳がアメリカで快挙を成し遂げるまで〈日本人初ゴールデン・グローブ主演男優賞〉
千葉が真田をサーカスに預けて…
そのために千葉がしたのは、真田をサーカスに預けるということだった。その成果は予想以上で、真田はわずか1ヵ月で空中ブランコを観客の前で披露するまでになる(千葉真一『侍役者道』双葉社、2021年)。劇中では地上約30メートルからの空中ダイビングをスタントなしで行い、評判をとった。 千葉は真田の恩師であるとともに、海外で活躍する日本人俳優としても先達であった。70年代には主演した一連の空手映画がアメリカに輸出され、「サニー千葉」の名で人気を集めた。その後、50代に入っていた90年代には本格的にハリウッド進出に挑み、ロサンゼルスに拠点を移す。真田が、先に引用した1993年のインタビューで「男優というのは、やっぱり四十、五十、六十なんだと、諸先輩方を見ていて思います」と言っていた「諸先輩方」のなかには当然、千葉も入っていたはずだ。
本格的な海外進出へのきっかけ
もっとも、真田が本格的に海外に進出する端緒となったのは、映画ではなく舞台だった。その始まりもまた1993年で、以前から憧れていた演出家の蜷川幸雄がロンドンにいるというので、3日間の休みが取れると突然訪ねていった。蜷川はこのとき、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)でイギリスの若い俳優たちと稽古をしていた。そこで蜷川と意気投合したのを機に、1995年、彼の演出によるシェイクスピア劇『ハムレット』に主演する。 その3年後には『ハムレット』をロンドンでも上演した。このとき、シェイクスピア俳優として名高いナイジェル・ホーソンがプロデューサーのセルマ・ホルトとやって来て、翌年から蜷川がRSCで演出する『リア王』に道化役で出演を依頼される。『ハムレット』を観たホーソンたっての希望であった。
「おまえは日本人である前に俳優だ」
真田としては、それまで遠い夢だと思っていた海外進出がにわかに現実味を帯び、願ってもいない話だった。だが、ここで失敗すれば海外からのオファーはもう来ないだろうし、日本にも帰れないだろうと思うと即答しかねた。それでも、プロデューサーのホルトの「こちらができると確信してオファーしてるんだ。悩むのはいいが、おまえは日本人である前に俳優だ。何を勝手に国境をつくっているんだ」という一言に、頭のなかでゴングが鳴ったという(『婦人公論』前掲号)。 セリフは当然ながらすべて英語、しかもイギリス人にすら難解な古語混じりのブリティッシュ・イングリッシュとあって、覚えるのも一筋縄ではいかない。まず、セリフの単語の意味を一つひとつ確認するところから始めた。何とか全部覚えて稽古にのぞんだものの、しばらくはセリフを間違わずに言うだけで精いっぱいで、ダメ出しもたくさん食らう。 公演は1999年9月に日本で始まり、そのあとイギリスへ飛び、翌年2月まで5ヵ月におよんだ。RSCの拠点であるロイヤル・シェイクスピア・シアター(RST)公演の初日直前には、ケガ人が続出し、あらかじめスタンバイしていた代役も払底してしまう事態に陥る。そのとき、真田が自ら申し出て「戦士」など4役を兼任し、無事幕が開けた。それを1週間続けると、カーテンコールで幕が下りたあとで、キャスト全員が真田にカーテンコールをしてくれ、彼は初めてカンパニーの一員として認められたと思い、感涙したという。
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