「推しがいること」は薬か毒か 一方通行の想い、「パラソーシャルな関係」の科学
ネット時代の新しいパラソーシャル関係
しかし、デジタルなやりとりは、こうした自然な人間関係を複雑化させる。 YouTube、TikTok、インスタグラムで活動するクリエイターたちは、ビジネスモデルの一環として、視聴者とのパラソーシャル関係を積極的に築いている。ソーシャルメディア(SNS)の台頭以来、インフルエンサーたちは、視聴者をつなぎとめて商業的な利益を確保するため、自分たちの間には真に双方向的な関係があると視聴者に思い込ませてきた。 けれどもチャペル・ローン氏の発言が示しているように、この戦略は裏目に出る可能性もある。 「SNSの投稿を通じて有名人とつながるファンは、実際よりも相手と親密な関係にあると思い込んでしまうのです」と、米セントラルフロリダ大学のデジタル人文科学の准教授で、近著に『Fandom Is Ugly(ファン世界は醜悪)』があるメル・スタンフィル氏は言う。 研究者たちは、パラソーシャル関係を結ぶのは人間に本来備わっている行動だとはいえ、SNSによって大幅に増幅されたと指摘している。 SNS以前のパラソーシャル関係では、ファンは有名人やクリエイターと実際に接触することはなかったが、SNSはその関係を目に見えて変化させた。今では、有名人がファンやフォロワーのメッセージを見る可能性があるだけでなく、返信してくれる可能性さえある。 「脳は、現実世界で出合った風景と同じように、SNS上の画像を処理します」とスティーバー氏は言う。
パラソーシャル関係が毒になるとき
人間の脳にとって、親密さの幻想は非常にリアルに感じられる。スクリーン上の誰かを目にして始まった幻想は、コメント欄での直接的なやりとりが可能であることで強化される。 20世紀後半を通して可視化されるにつれ、ファン文化は若さや未熟さと結びつけられるようになった。 実際には多くの大人たちが生涯を通じてファン文化に参加しているが、スティーバー氏は、思春期の若者は特に強いパラソーシャル関係を形成しやすいと言う。氏はその理由を、安全な距離を置いた誰かに対して、本物の大人としての感情を経験するチャンスだからではないかと推測している。また、チャペル・ローン氏が悩まされたファンによる迷惑行為は、思春期のパラソーシャル関係の強さが招いた結果だと考えている。 「チャペルが語ったような有害な行動は思春期の特徴です」とスティーバー氏は言う。「大人のファンがこのような行動に出ることは全くないとは言いませんが、かなりまれです」 昔なら1人か2人しかしなかったような行為も、SNSのせいで多くの人に広まってしまうおそれがある。 オンライン上のファンたち、特に感情の起伏が激しいティーンエイジャーが多数を占める大きなファン界隈では、大人まで好ましくない行為に走ってしまうことがある。スタンフィル氏は、「オンラインコミュニティーで互いに煽り合っているうちに、敵意のようなものが生まれてくるのです」と言う。 「すべてのやりとりをスマートフォン上で行っていると、しばしば相手が人間であるという事実を見失ってしまいます。すべてにおいて抑制が効かなくなり、フィルターバブル(ユーザーの好みや考えに合わない情報がアルゴリズムで遮断される状態)やエコーチェンバー効果(SNSで発信すると自分と似た意見しか返ってこなくなる現象)によって、『誰もが自分と同じ意見を持っている。だから自分たちのやり方はすべて正しい』と信じ込んでしまうのです」 健全な境界線を持って始まったパラソーシャル関係でも、群集心理の形成によって険悪になり、嫌がらせに発展するおそれがある。 「以前に比べて、ファンの中でも悪質な人物の存在が目立つようになっています。彼らは互いに連携しやすいため、ファンの中では少数派であるにもかかわらず、声が大きくなっています」とスタンフィル氏は説明する。 パラソーシャル関係は自然なものであり、本質的に不健全なものではない。しかしスティーバー氏はこう語る。 「通常の社会的な関係について言えることは、パラソーシャル関係にも当てはまります。パラソーシャル関係は良いものでしょうか? 私たちに好ましい影響を及ぼすでしょうか? もちろんそうです。パラソーシャル関係は悪いものでしょうか? 私たちに有害な影響を及ぼすでしょうか? その例は誰でも知っています」
文=Allegra Rosenberg/訳=三枝小夜子