ジェーン・スー ポッドキャスト番組「となりの雑談」で知ったこと。悲観的か楽観的かは、出来事のどこにスポットライトを当てて記憶するかで変わる
ジェーン・スーさんが『婦人公論』に連載中のエッセイを配信。今回は「光の当て方」について。桜林直子さんとのポッドキャスト番組「となりの雑談」は放送開始から1年が過ぎた。番組では、桜林さんとの意見の相違に驚く機会が多いそうで―― * * * * * * * ◆”考え方の違い”の背景を考える 雑談を生業のひとつにしている桜林直子さんとのポッドキャスト番組「となりの雑談」が、開始からあっという間に1年を迎えた。おかげ様でリスナーの数もどんどん増えて、嬉しい限り。 ポッドキャスト番組は2つやっていて、もうひとつは堀井美香さんとの「OVER THE SUN」だ。こちらは中年女の悪ふざけがメイン。とはいえ、2人とも一生懸命生きてはいるので、たまに真面目な話にもなる。堀井さんと私は正反対とも言える人生を歩んできて、まったく異なる趣味嗜好を持つけれど、考え方やものの見方のベースは同じだ。 一方、桜林直子さん、通称サクちゃんと私は、世の中の見え方が大きく異なる。よって、意見の相違に驚くことが多い。そこが醍醐味で、驚いているうちに1年が過ぎた。実りの多い1年だった。 「となりの雑談」を始めてから、考え方の違いはものの見え方の違いに起因し、見え方の違いは経験の違いの産物だと身をもって知った。意見の相違は単純な二元論ではなく、個々の歴史が連綿と繋がった先に出た答えであると考えを改め、背景に注意深く思いを馳せるようになった。 考えの不一致があった時、「あの人はネガティブだから」「あの人は慎重すぎるから」と、的外れではないが、その場限りの決めつけで片付けていたあれこれを、そうならざるを得なかった経験があったのだろう、そうあることで好機を掴んできたのだろう、と考えられるようになった。結果、たとえ真っ向から否定されても、不愉快な気持ちに囚われづらくなるし、無用な対立も避けられる。
◆スポットライトを当てる場所の違い さて、いまの話を「人生半ばにして気付くなんて、遅きに失した!」と捉える人がいる。私は、「このタイミングで気付けて本当に幸運だ!」と捉える。前者は悲観的、後者は楽観的と評される。 いにしえから言われているように、生きることは選択の連続だ。当然、失敗もする。その時、楽観的な私は、失敗から立ち直った自分にスポットライトを当てて出来事を記憶している。悲観的と言われる人は、失敗した苦い瞬間にスポットライトを当てて記憶している。光が当たる場所に違いが出る理由はわからない。他者からどちらかに当てられた経験が礎になっているのかもしれないし、DNAの仕業なのかもしれないし。 一方で、決めつけは自分に対してもする。「私はネガティブだから」というように。サクちゃんのすごいところは、自分の考えや世間一般の言説にいちいち疑いの目を持つことだ。ひとつずつ精査していくと、そうではないとわかることも多々あったと言う。スポットライトを当てる場所を自分で変えたのだ。 私は私で、繊細で傷付きやすく、後ろ向きな自分の輪郭をなぞるのが不得手だと自覚した。そういう部分があるとは認識しているが、毎日なにかしら闘って生きていると、つい忘れてしまう。私は慎重だが大胆で、ポジティブなチャレンジャーだと自己定義してしまう。 それだけではないのだ。私にだって、親から「おまえは暗い」と言われていた子ども時代がある。これをなかったことにすると、やがて辻褄が合わなくなり心身に不調をきたす。スポットライトを当てると生きやすくなる場所と、たまに弱めの光を当ててあげる湿った場所。自己の多面性を受容するのは大人の嗜みなので、バランスよくやっていきたい。
ジェーン・スー
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