【ラグリパWest】無双への道㊦。綾部正史 [大阪桐蔭高校ラグビー部/監督]
綾部正史(あやべ・まさし)は人工芝グラウンドを得て、大阪桐蔭のラグビー部をチーム初の高校春冬連覇に導くべく、監督として奮闘している。 その道筋は明るい。3月の選抜優勝のあと、サニックスワールドユースと大阪府総体(春季大会)も連続して制した。 海外からも8チームが参加したサニックスワールドユースの決勝は桐蔭学園に17-15と競り勝った。大阪府総体の1位決定戦では東海大仰星を38-12で破った。 綾部の指導者としての長所のひとつは保健・体育の教員ということもある。今も週16時間の授業を持つ。部員たちに長く接する。 「教員一家でした。根っこはそこですね」 両親は大阪府内の養護学校(現・支援学校)、姉も幼稚園に勤めていた。 教員免許は大体大で取得した。ラグビー部は最上の関西Aリーグに所属していた。監督は日本代表のWTBとして16キャップを得た坂田好弘。綾部は4年の時に公式戦に出る。体格は180センチ、90キロほど。坂田の好きな縦に強いCTBだった。 この1996年のリーグ戦は5位。続く大学選手権は33回大会。1回戦で関東学院に13-47で敗れた。 「トイメンが仙波でした。めちゃくちゃうまかったし、強かった」 仙波優(せんば・まさる)は同期。卒業後、トヨタ自動車(現トヨタV)に入社する。7人制日本代表として活躍。対戦の3年後、自らの自動車事故で亡くなった。 綾部は卒業してすぐに母校に戻った。1997年の4月である。恩師で監督だった仲谷弘麿(なかたに・ひろまろ)がコーチとして呼び戻してくれる。2005年冬、新チーム結成から2代目の監督になった。 監督1年目、大阪桐蔭は全国大会に出場する。この大会は開催の花園ラグビー場から「花園」の名で親しまれており、86回大会はチームにとって4回目の花園になった。戦績は3回戦敗退。正智深谷に22-29。3年生SOは山本健太だった。現部長である。 その5大会後、綾部が37になる年に指導の転機が訪れる。91回大会は予選決勝で大阪朝高に19-20と1点差負け。花園に出れば4強入りする自信もあった。呆然だった。 「その時、変わるか、辞めるか、どっちかしかないな、と思いました。人にも相談しました。結局、仲谷先生に譲ってもらったチームを自分でつぶすのはいやや、となりました」 チームを残すため、勝たせるため、トップダウンである一方通行を改めた。 「自分の意見を言う前に、生徒の声を聴くようになりました。今は目を見て話します」 主将の名取凛之輔は話す。 「綾部先生は楽しい雰囲気を作ってくれます。ここに来て、むちゃくちゃよかったです」 高校日本代表候補でもある3年生CTBは選択の正しさを感じ取っている。 綾部の変化には養護教員だった父・捷(はやし)との思い出も少なからず影響している。 「小学校の時なんか父の学校の林間学校やプールについていっていました」 ずっと前から「できない」を知っていたはずだった。予期せぬ負けによって「生徒ファースト」が呼び覚まされる。 変化を選んだあと、翌92回大会から12大会中11回で花園出場を決めている。97回大会(2017年度)は準優勝。翌98回大会は初優勝する。決勝戦は桐蔭学園に26-24。CTBのコンビは主将の松山千大(ちひろ)と高本幹也だった。松山はトヨタV、高本は東京SGでプレーを続けている。 綾部は松山や高本のような才能を求め、中学の練習や大会にも顔を出す。 「どんな学校にも面白い子はいます」 綾部は小林広人の名を挙げた。 「パスのタイミングなど感覚がよかった」 中学は楠根(くすね)。合同チームだったが誘った。小林は31歳となった今でも花園LのCTBとして現役を続けている。 今の3年生5人、名取やSOの上田倭楓(いぶき)は大阪の中宮(なかみや)から迎え入れた。中宮は幻の中学日本一だった。2021年はコロナの影響で太陽生命カップがなかった。その流れの中での5人の進学は、綾部の勧誘にかける意気込みが伝わってくる。 名取ら3年生にとっても有終の美となる春冬連覇は花園予選からスタートする。決勝で対戦の公算が高い関大北陽を含め、3つ勝てば本大会出場を決める。大会は104回だ。 10月27日には、人工芝グラウンドのこけら落としがあった。大阪桐蔭校長の今田悟があいさつをする。招待した御所実は同月の国民スポーツ大会(旧・国体)で優勝していた。奈良代表として単独チームで出場し、決勝戦で東京代表を38-5で破る。 大阪桐蔭はその御所実を40-21(前半19-0)で降した。主将の名取がケガで欠場している中、6トライを挙げる。先制は前半6分。FB吉川大惺(たいせい)が記録した。モールを起点に素早く2回、外側に振った。前半はさらに2トライを重ねた。 観戦した熊田碩彩(せきさい、旧姓・井上)は展開の速さにうなった。 「タックル、ひとり目は下、2人目はボールにいかないとあのテンポではいかれます」 熊田はS東京ベイのリクルーター。チームにはPR紙森陽太、HO江良颯(えら・はやて)と2人の大阪桐蔭OBがいる。 熊田の言う速攻の源は円滑な球出しだ。 「ブレイクダウンでひとり目、2人目の仕事が少しはできたのかなあ、と思います」 綾部はボール争奪の部分に、日々の練習の手ごたえを感じていた。 綾部は言う。 「みんなのおかげです」 教え子2人もコーチに来てくれている。四至本侑城(ししもと・ゆうき)と上山黎哉。35歳の四至本は部長の山本と同期。バックローとして現役引退したクボタ(現S東京ベイ)で社業を続けながらである。25歳の上山は花園LでHOをつとめている。 この指導陣と75人の部員を綾部はまとめ、新しい人工芝グラウンドを使い、春冬連覇を<結実>したい。大阪桐蔭の紺Tシャツの左袖にはこの2文字がプリントされている。 (無双への道、完) (文:鎮 勝也)