イケメンF1マシン勢揃い! 決勝出走僅か1回のマシンですら格好良かった……まさに黄金時代。1992年のF1マシン
2024年、世界選手権として創設されてから75年目を迎えるF1の歴史で、”イケメンマシン”揃いのシーズンとよく言われるのが、1992年である。この頃からF1マシンはノーズの高さが持ち上がり、マシンのフロア下に気流をうまく流そうとし始めた。そのため、各車のデザインが実に様々であり、バラエティに富んだマシンが走っていた。エンジンの形式も、すべて自然吸気ながらV8、V10、V12と様々あり、色々なエンジン音がサーキットにこだました。 【ギャラリー】美しく個性的なマシン”粒ぞろい”だった1992年の全F1マシン その1992年のF1マシンを、一挙に振り返ってみよう。 ■ウイリアムズFW14B この年圧倒的な強さを見せたのが、ウイリアムズFW14Bとナイジェル・マンセルだった。マンセルは開幕から5連勝。モナコでは敗れ、カナダではリタイアするも、その後は3連勝。シルバーストンの名物コーナー、”マゴッツ~べケッツ~チャペル”を路面に吸い付くように走る様は、今も語り草だ。そして8月のハンガリーGPで、早々と同年のチャンピオン獲得を決めてしまった。 この圧倒的なパフォーマンスを実現させたのは、リ・アクティブサスペンションと呼ばれるデバイスの存在が大きかった。サスペンションが半自発的に動き、路面と車体の隙間を一定に保つことで、空力の鬼才エイドリアン・ニューウェイがデザインしたマシンが安定したダウンフォースを発揮するのを助けた。 このFW14Bは、前年仕様のFW14のアップデート版だが、その圧倒的すぎるパフォーマンスにより、当初シーズン途中で投入することが予定されていたFW15の投入が見送られることになった(1993年にFW15Cとして投入)。 ただドライブするのは実に難しいクルマだったようで、マンセルのチームメイトであるリカルド・パトレーゼは苦戦。マンセルが9勝したのに対し、パトレーゼは1勝に留まった。
■マクラーレンMP4/7A
マクラーレンが1992年用の真打として投入したのがMP4/7A。同チームとしては初めてのハイノーズ車両だった。とはいえ、ライバルと比べるとその高さは低かった。 ステアリング裏のパドルでシフトチェンジを行なえるセミ・オートマチック・トランスミッションもマクラーレンとしては初採用したが、ウイリアムズとの差を縮めるには至らなかった。セナが3勝、ゲルハルト・ベルガーが2勝を挙げ、コンストラクターズランキング2位は死守したが、1988年以来獲得し続けていたタイトルは遂に手放すことになった。 当時のマクラーレンには、ホンダエンジンが搭載されていた。そのパフォーマンスは圧倒的で、マクラーレンはそれを大いに享受し、タイトルを4連覇することとなった。ただその間、シャシー面の進歩はライバルと比べて控えめであり、この年の敗北、それ以降の苦戦に繋がったと言えるだろう。 なおホンダはこの年限りでF1撤退。ホンダV12を搭載した最後のマシンだった。