「死んでもおかしくなかった」大事故から生還 小田和正さんを待っていたファンの言葉がその後を変えた
1998年、交通事故で重傷を負った小田和正さん。一時は生死の境をさまよった小田さんに、ファンがかけた言葉とは...。70歳の節目に語られた、ファンや音楽への思いを記録した書籍『時は待ってくれない』から一説をご紹介します。(聞き手:阿部渉) 【写真】1998年7月22日夜、ゴルフコンペ会場へ向かうため東北自動車道下りを走行中、雨で車がスリップし、道路左側のガードロープに激突。車は追い越し車線まで弾かれ、みずからも後部座席に飛ばされた。 ※本稿は、小田和正著『時は待ってくれない』(PHP文庫)より、内容を一部抜粋・編集したものです。 ※写真はすべて同書からの転載です。
交通事故をきっかけに、素直になれた
――1998年、小田さんはアーティスト生命の危機ともいえる交通事故を経験します。鎖骨と肋骨3本を骨折。首の骨がずれ、神経を圧迫する絶対安静の重症だったとうかがっています。 あのときは、たしかに九死に一生でした。よくまあ、助かったなと思うけど、あとになって、「ああ、あのとき、たしかに死んじゃっててもおかしくないくらいの事故だったんだろうな」と思ったね。 「あのとき死んじゃってたら、あの曲も、この曲もつくってなかったということか」って、そんなふうに思ったりしましたね。 ――その事故をきっかけに、ちょっと大げさに言うと、人生観が変わったということはありますか。 ファンの人たちが心配してくれて、「とにかく生きていてくれただけでよかった」という手紙とかをいっぱいもらって、びっくりしたんですよ。「ああ、生きていてくれてよかった、生きていてくれただけでよかった」っていうね。身内の人なら、「ああ、お前、助かってよかったよ」って言うのはわかりますけど、身内でもない人たちがね......。 結構、感動しました。ああ、そんなふうに思ってくれるんだって。そのときにはじめて、「ああ、こんなふうに思ってくれるんだから、喜んでもらわなきゃ」って。それまであんまりそんなふうに考えたことはなかったんだけど、そこではじめて、そういう考え方になったんだね。 それで、どうしたら喜んでくれるのかと考えていたとき、お客さんの近くへ物理的に近づくと、とっても喜んでくれることがわかった。ちょっと客席に下りてみたりすると、本当に喜んでくれて、みんな、「あ、こんなに喜んでくれてる」ってわかる笑顔なんだよね。 ――大ケガから回復して、「観客にもっと楽しんでほしい! ファンにもっと近づきたい!」という思いから、小田さんはコンサート会場に「花道」(ファンに喜んでもらうために、みずから発案したコンサート演出)をつくってファンを驚かせました。花道が最初に登場したのが、2000年、横浜・八景島シーパラダイスでのカウントダウンライブでしたね。 花道をつくって、歌いながら歩いていったら、本当にお客さんが嬉しそうな顔してるんだ。ああ、喜んでもらおうと思ったけど、こんなに、こんなに笑顔になるんだって。 ――花道に出ていくと、ファンとの距離はかなり近いですよね。小田さんとしては抵抗はなかったんですか。 図々しくなったんだね、どっかから。昔だったら恥ずかしくて、なんか照れくさいしね。それが、とっても素直に手なんか振っちゃって(笑)。だから、おれを昔から知っている、たとえばほかのアーティストが見たら、「なんだ、あいつ、どうしちゃったんだ」みたいな感じだろうな。 ――花道だけではなくて、通路まで下りるときもありますよね。本当に近いところで、みなさんがちょっとさわってきたりしませんか。 さわってきますね。ああ、それはさわりたいんだろうなあと思うから、できるだけ腹を立てないようにして(笑)。昔は、やっぱりシャイだから、手を振って歌うなんてことはありえなかったんだけど、どうしてそれができるようになったのかなって思うよ。やっぱり、「生きていてくれてよかった。生きていてくれただけでよかった」という言葉がすごい残ったんだろうね。うん、素直になれたのね。