ピンクのネイルで放つスリーポイントシュート…“負けず嫌い”が挑む二度目のパラリンピック 車いすバスケットボール柳本あまね
至近距離のパラリンピアン12
大きな瞳を輝かせ、ポニーテールを左右に大きく揺らし疾走する。激しいプレーの合間には明るい笑顔が弾ける。スピーディに車いすを操り、前のめりで練習するのは柳本あまね選手。車いすバスケットボール女子日本代表として東京パラリンピック6位。パリでも得点源として期待される若きエースだ。 【写真】大好きだというピンクのネイルでシュートを放つ
ディズニーチャンネルでバスケと出会った
2歳のときの原因不明の疾病で、両足の運動機能を失い車いす生活になった。バスケとの出会いは小学5年生のとき。 「大好きだったディズニーチャンネルを観ていたときでした」姉とテレビで見た映画にバスケットボールが出てきて「楽しそうやなー!」と興味をもった。 「やりたいな! と思ったけど、やれるところをどう探せばいいかもわかりませんでした」 リハビリの先生に話したところ紹介してくれたのが、地元京都と大阪を拠点とした女子クラブチーム「カクテル」だった。全国大会常勝の強豪チームだ。 さっそく見学に行ったが、車いすバスケットボールのみならず「自分以外の車いすの人を見たのも初めて」だった。「シンプルにすごいなって思いました。バリバリ車いすに乗って、コケながらもがんばっていて」 しかし選手たちはほとんど大人で、最も年齢が近くて4歳上。まだ小学生だった柳本には、真剣に競技に取り組む姿が“ガチすぎて”怖かったという。 その1年後、「なんかもう1回行ってみようかな、という気持ちになって」チーム練習に参加するようになった。最初は基礎練習を重ね、中学1年生から本格的な練習が始まった。「練習しているうちに怖いが楽しいに変わって、もっとやりたい、強くなりたい、上手くなりたいと、どんどんのめりこんでいきました」中学1年生で正式にチームに登録した。
強豪チームに食らいついた中学時代
チームに日本代表選手が多くいたこともあり、競技を始めたときからパラリンピックは目標だった。「私は絶対パラリンピックに行く、日本代表になる! とずっと言ってました」 さながら英才教育ともいうべきハイレベルな環境に身を置いたことを「ラッキーだった」と話す。 「正直練習はしんどかったです。やっぱり強いチームなんで。でも、だからこそ今の自分があると思います。体力も精神力も養われました。中学の3年間は、練習中1回もボールを触らず、陸上部なみに走りこ込んでいた時期もありました」 持ち前の負けん気で食らいつき、技術を磨いた。「何かちょっとでも上手くできたら、すごい楽しくなっちゃう。負けず嫌いなんです(笑)」