<52年ぶり春・宮崎商>支える人々/下 OB会長 手塩にかけ大輪に /宮崎
「センバツに出場する日が来るなんて」。塾経営の長田(おさだ)洋・OB会長(55)=宮崎市=は宮崎商の名が記された大会ポスターや初戦の相手決定を報じる毎日新聞を前に、感慨深げだった。 OBの浜田登氏(現富島監督)が2004年、母校監督に就任した際、組織化を進め、初代OB会長に就き10年以上務めた。今では会員約600人。3年生野球部員は卒部式と同時にOB会に入会する流れもできた。 1966、69年にセンバツに出場し、その後も甲子園出場を期待されながら、沈黙の時代が続いた。やっと花開いたのが08年夏。エースとして出場した赤川克紀さんら中心選手の高校受験を、経営する塾で手助けした。 現役時代から知る橋口光朗氏が18年夏の大会後、30歳で監督就任。その年末に自身もOB会長に復帰してからは監督の相談役に徹した。昨夏、監督から「秋は絶対狙います」と聞いた時、「手応えがあったんだと思う」。選手には「練習でここまで強くなれたことを先輩として誇りに思う」、監督には「甲子園で腹いっぱい橋口光朗らしい野球を」とエールをおくる。 18年末まで4年間OB会長を務めた元プロ野球選手で52年前のセンバツ出場時のエース・西井哲夫さん(69)=国富町=も開幕を指折り数える。建山翔、西原太一、水谷圭佑の各選手らチーム現主力の5人は、自身が定年後に開いた中学生向け野球塾の生徒。ヤクルトでの現役時代に対戦した巨人王貞治、長嶋茂雄両選手のように、たたみの上の素振りから教えた。高校入学後は「孫のよう」に見守ってきた彼らが甲子園に立つ。 他にも連日、学校近くの大淀川土手から練習を見つめるOBが。多くの人がつなぎ託してきた夢が、後輩たちの努力と周囲の支えでもうすぐかなう。【塩月由香】