安倍元総理と“友情”を育んだ議員がいた…自民党の悪習を、安倍元総理とヒラ議員が崩壊させた話
勧誘活動をせず「護る会」のメンバーが増えた理由
そして部会での発言ぶりから、長尾敬代議士(大阪)に声を掛けて、これで4人です。 山田さんが「ひとり、冷静な奴が欲しい」と言うので、わたしが、外交部会や国防部会での言動から高木啓代議士(東京)を提案して、高木さんとも吞み、加わっていただくことで合意しました。 さらに参議院の全国比例の山谷えり子議員と、石川昭政代議士(茨城)に参画してもらって、この7人で「執行部会」をつくることになりました。 そして、この初期の護る会に参加された衆参両院議員を全員、幹事として、幹事互選で不肖わたしが代表幹事となり、山田さんが幹事長、鬼木さんと長尾さんが副代表、高木さんが事務局長、山谷さんと石川さんのおふたりが常任幹事に選任されました。 わたしはのちに代表幹事から、代表というシンプルな役職名となりました。 護る会の正式な発足は、西暦2019年、令和元年の6月12日付です。 発足以来、組織としては一度も勧誘活動を行っていません。 部会などで一緒になる議員で、注目すべき発言をなさるかたに個人的に声を掛けることはあります。 しかし派閥のように組織として引っ張ったり、またおカネ、政治資金の供給と地位の割り当てという魅力で入会を勧誘することは一切、ありません。 天皇陛下のご存在を父系一系でお護りすること、中国や韓国に土地を奪われない法整備を進めていくこと、カウンター・インテリジェンス法(旧スパイ防止法)を制定すること、この3本柱の政策に共鳴する、自由民主党の現職議員なら「どなたでもどうぞ」という姿勢です。 つまり「この指止まれ」だけです。 それだけで自然にどんどん参加議員が増え、かつ、なぜかひとりの退会者も出さず、創建から5年の2024年、令和6年の年央に100人に達しました。
安倍総理から「護る会」について直接電話。その内容とは
この護る会が50人を超えた頃だと思います。安倍総理から電話で「あのさ、どうやって集めてるの」と聞かれました。 今度は岸信夫さん経由じゃなくて、直です。 「集めてません」 わたしはありのままに即答しました。 「集めてない……。お金はいくらぐらい使ってるの」 「総理、お金も使ってません」 「使ってないって、どれぐらい使ってないの」 「使っていないんだから、ゼロです」 安倍総理は珍しくしばらく沈黙されました。 護る会は派閥ではありません。 官房副長官から経産大臣を経て参議院自由民主党の幹事長になっていた世耕さんが、「青山派」と呼ばれたことがありますが、それはあくまで一種のジョークです。 だから安倍総理にとって脅威ではなかったと考えます。 ただ、自由民主党の既成派閥のすべてと、無派閥から議員が広く集まっていますから、これまでの自由民主党の政治的常識とはかけ離れているので、安倍総理でも興味を持つし、ちょい探りを入れてみたくなるのでしょう。「青山派」と、たわむれに呼んでみたりするのも、それだろうと思います。 安倍さんは、二度目の内閣総辞職をなさってから、この護る会に入会なさいました。