「まだまだテレビも捨てたものではない」…ドラマ『ライオンの隠れ家』はなぜここまで支持されたのか
センシティブなテーマへの「作り手側」の躊躇、タブー視……
以上の話からもわかるように、「発達障害」は何となくセンシティブな話題として避けられる傾向にあった。それが、かえって発達障害を真剣に考える機会を喪失させてきた。テレビも同様だ。ASDの当事者の心境を詳しく描いたドラマは意外と少ない。テレビに障害者を登場させることに何となく作り手側の躊躇があったり、タブー視するようなところがあったりしてきた。だが、今回の『ライオンの隠れ家』はそれを避けてはいない。 更にこのドラマの秀逸な点は、ASDをテーマとして正面からとらえながら、ASDの当事者にスポットライトを当てるだけでなく、その兄という「周りの人々」を照射したことだ。 先の手紙からわかるように、ASDに必要なのは周りの「理解」である。「無関心」や「過干渉」は一番の大敵だ。そして最も大きな課題は、ASDを抱えている本人と同じように、周りの人にも人生があるということだ。生きていれば「苦悩」もある。だが、周りの人の「苦悩」を考えずに無理を強いてしまうと、必ずほころびが生じてしまう。 そういった〝見逃されがちな〟「苦悩」を、このドラマは丁寧かつ緻密に描いていた。それが、放送後も反響を呼ぶほどの支持を受け続けている理由である。 では、発達障害を抱える本人の周りにいる人々の「苦悩」とは何か。それは、以下のASDを抱える子どもを持つ母親から私に送られてきた便りから読み取ることができる。個人の特定を防ぐため内容は少し変更してあるが、抜粋して記載したい。 「私には20代の2人の息子がおりますが、2人とも発達障害があります。次男はASDとADHD(注意欠如・多動性障害)を併発しています。何度も生きることにくじけそうになりました。本気で2人を道連れにしようと思ったこともあります。そして何もしてこられなかった自分に悔やんでいます」 ◆親の思い、家族の苦悩…… この手紙に表れているのは、「懺悔の気持ち」「将来への不安」「アイデンティティの喪失」の3つである。 1つ目の「懺悔の気持ち」は、多くが障害者の親が抱く思いだ。私がドキュメンタリー『障害プラスα』を制作しているときに、障害を抱える子どもの親御さんへのインタビューでよく聞いたのが「子どもに申し訳ない」「こんな障害者に産んでごめんね」というものだった。そんな「卑下の気持ち」が親や家族側にあるため、当事者である子どもの一挙一動に一喜一憂するのだ。 そんな葛藤や感情を、ドラマはよく描き出していた。もちろん、一番苦しいのはASDの当事者ではあるだろうが、その周りの家族の苦しみや悩みをしっかりと見せていた。そう考えると、前半のサスペンス部分は、ASDを抱える青年とその家族が生きてゆくうえでぶつかってゆくであろう数多くの「困難」の単なる一例を挙げたに過ぎない。 2つ目の「将来への不安」は、大きくなって自立ができるのかという〝障害者本人の〟将来への不安とこのままいつまで自分は世話を見続けることができるのか、見続けなければならないのかといった〝自分自身の〟将来の不安である。 3つ目の「アイデンティティの喪失」は周りの家族などがふとしたときに抱く感覚である。2つ目の「将来への不安」と同時に、「自分は障害を持つ子どもを世話する『介護人』でしかない」と思ってしまい、気がついたときに「自分は何者なのか」と自己を喪失するような感覚に陥ってしまうことがあるのだ。 以上の周囲の家族が抱く3つの「苦悩」を、避けることなく真っ向からしっかりとドラマは描いていた。 ◆本当に素晴らしかった坂東龍汰氏、佐藤大空氏、そして柳楽優弥氏の演技 このドラマが訴えたのは、障害を抱えた人とその家族の「共生」のあり方だ。 それは、障害のある当事者の陰で自らを卑下し、自分を殺し、我慢して生きなければならなかった家族や周りの人たちの物語だ。 「当事者と周り」どちらに重きがあるわけではない。どちらも平等で、どちらも悩み、どちらもしっかりと「自分の人生」を生きる権利がある。それをこのドラマは、改めて示唆してくれた。それが世代を超えてこのドラマが支持され、多くの人々の共感を得る理由である。 最初にドラマが支持された要素として挙げた②の「キャストの演技」に関しては、柳楽優弥氏のこころにじんわりとしみ込んでくる〝至極の〟演技はもちろんのこと、障害を抱えるという難しい役に取り組んだ坂東龍汰氏、70人のなかからオーディションで選ばれたというライオン役の佐藤大空氏、この3人の演技は本当に素晴らしかった。 坂東氏の研究は半端ではない大変さがあったと想像する。私が取材のときに感じたASDの特徴を見事に演じ切っていたからだ。特に、あのいつも〝不安そう〟で〝何かに怯えているような〟目の動きは素晴らしかった。実際に多くのASDを抱える方々に会ったのではないだろうか。 なかなかいいドラマを見せてもらった。地上波の配信化が進み、量産されるドラマが多いなかで、信念を持っていいドラマを送り出そうというキャストやスタッフの心意気が詰まったこのような作品に出会うと、「まだまだテレビも捨てたものではないな」と思えて嬉しい気持ちになる。 皆さんも時にはスマホやネットなどの「仮想の世界」から離れ、ぜひ〝人間臭い〟このドラマをじっくりと鑑賞してみてほしい。 「人間っていいな」と思える、そんなドラマになっている。 文:田淵俊彦
FRIDAYデジタル