「歌に浸らない、聞かせようと思わない」前川清の意外な発言から考える、自分がないからこそ得られるもの【インタビュー前編】
歌手生活55周年を迎えた前川清さん。誰もが知る超一流の歌手ですが、先日放送された『中川家ザ・ラジオショー』(ニッポン放送)に出演した際、「歌手なんていつ潰れるかわからない不安定な仕事」「歌っていても自信なんてない」というネガティブ過ぎる一面や、「努力や練習が大嫌い、楽をして稼ぎたい」といった脱力系? なマインドなど、独特過ぎる哲学が大きな話題になりました。前川さんの人生哲学を掘り下げるべくインタビューすると、自我を捨て、徹底して受け身になるからこそいかようにも変容できる、そんな表現者としての在り方が見えてきました。 前川清 長崎県佐世保市生まれ。内山田洋とクール・ファイブのヴォーカルとして『長崎は今日も雨だった』でデビュー。その年の日本レコード大賞新人賞を受賞し、NHK紅白歌合戦にも出場を果たす。愛される飾らないキャラクターでバラエティー番組でも活躍。YouTube:前川清公式 「前川ちゃんねる」
歌手になったのは好きだからではなく、“生きるため”
――中川家ザ・ラジオショーを拝聴して、前川さんの独特過ぎる哲学に、驚きと爆笑の連続でした。中でも、歌手はなりたくてなったわけではなく、食べていくためにやっているというのがとても印象的で。今の社会では、好きなことを仕事にしなきゃいけないという圧力みたいなものがあります。歌手といえば好きでなる代表的な仕事のようにも思えますが、前川さんの場合、とにかく食べていくために、自分が戦える場所、活かされる場所を探した結果、歌手になったという感じなんでしょうか? 前川清さん(以下、前川):活かされるというか……。「生きるため」というのかな、いかにして食べていくのかを考えて歌手になった、そういう感じでした。だから、目立ちたいとか、自分の歌をお届けしたいとかはなかったです。やっぱり生まれ育った環境において、貧乏な生活というのが根本的にありましたから、人様の事を考える余裕がないですよね。人の幸せとか、いろんなことを考えられるのは、自分がある程度裕福だからできること。自分が満たされないとできないんです。 前川:生き抜いて来たっていう程でもないですけど、もう行き当たりばったりでしたね。今、目の前にあるものを一生懸命にやってきた結果、こうなりました。だから、別に楽しくはなかったですよね(笑)。 ――前川さんは現在75歳ですが、70歳まで、他の仕事に転職できるならいつでもしたいと思ってらっしゃったそうですね。 前川:どんな仕事でもいいのですが、より一層お金をいただける仕事が、他にもっとあったんじゃないかなと思っているんです。歌をどうしても歌いたかったという自分はいなかったし、歌手に固執してないですから。でも、ある意味好きで入った歌手の道ではなく、食べていくため、生活のためだからこそ、一生懸命やってこれたのかもしれません。