【玉田圭司×名良橋晃|元日本代表が語り合う高校サッカー】昌平で重要視するのは「ちゃんと楽しんでやれているかな?」。影響を受けた名将の指導からは“愛”を感じていた(後編)
お世話になった本田裕一郎先生からは愛情をすごく感じた
玉田 僕があと影響を受けた指導者は、習志野高校でお世話になった本田裕一郎先生。ストイコビッチ監督と一緒で愛がありました。 名良橋 実は僕、本田先生から習志野に誘われていたこともあって、個人的にもちょっとだけお世話になっているからこそ、監督としてはどんな指導者だったのか、教えてほしいです。 玉田 じゃあ、逆に聞きたいのですが、名良橋さんから見た本田先生はどういうイメージですか? 名良橋 僕は見た目でしか分からないので、あくまで見た目だけで言うと、怖い(笑)。あとは、一つひとつの言葉に重みがあるんだろうなと、すごく感じます。だからこそ、3年間、本田先生から指導を受けてどう感じたのか、玉田監督に聞きたいんです。 玉田 まず、僕は一回も怖いと思ったことはないですよ(笑)。あと、言葉にすごく重みがあるというのは同感です。そして、グラウンドにいると気が抜けない。怒られるわけではないのに、そういう大きな存在。 名良橋 いるだけでオーラがあると(笑)。 玉田 たとえば、朝練で最初に「今日いないなぁ」と分かりリラックスしていると(笑)、本田先生が途中から車でグラウンドに来る。ブーンと聞こえただけで、練習の雰囲気がピリッと締まるんです。しかも車はジャガー(笑)。 名良橋 じゃあ、ジャガーが目に入っただけで...。 玉田 「あー、来た来た」って(笑)。勘違いしてもらいたくないのは、やることは変わらないし、怖いオーラを醸し出すなかにも愛情をすごく感じる。でも、やっぱりなぜかちょっと気持ちが締まる。実際に言葉で言われたわけではないですが、「お前ら可愛いな。俺が面倒みるから、お前らサッカーに集中して頑張れよ」みたいなオーラをすごく出してくれた。今振り返ると、カッコ良い大人だったんだなと思います。 名良橋 他に印象深い指導者はいますか? 玉田 習志野は市立船橋と近いので、当時に市船を率いていた布啓一郎先生は相手として嫌でしたね。何度も対戦したなかで10回中1回くらいしか勝てなかったから、勝てないというオーラを醸し出しているような。 名良橋 いろんな指導者から影響を受け、監督としてはいきなりインターハイを制覇した今、玉田監督の指導者としての今後の目標は何ですか? 玉田 もちろん再び頂点を目ざしますが、僕はトップを狙うためだけにサッカーをするのが、すごく嫌なんです。優勝できましたが、インターハイでも、この考えは変わらずに指導してきました。なので、これからも見ていて楽しい、もしくは昌平でサッカーをしたいと思う子どもが増えてくれるよう、面白いサッカーを構築したいですね。あとは、選手の成長にもフォーカスしていきたいです。 <番外編に続く> 構成●志水麗鑑(フリーライター) PROFILE 玉田圭司(たまだ・けいじ)/80年4月11日生まれ、千葉県出身。高校時代は習志野高でプレーし、プロ入り後は柏や名古屋などで活躍した元日本代表FW。2006年のドイツ・ワールドカップではブラジル戦でゴールを決めた。2021年に現役を引退し、2023年から昌平でコーチを務め、2024年からは監督に就任。同年8月にはチームをインターハイ優勝に導いた。 名良橋晃(ならはし・あきら)/71年11月26日生まれ、千葉県出身。高校時代は千葉英和高でプレーし、プロ入り後は平塚(現湘南)や鹿島などで活躍した元日本代表の右SB。98年にはフランス・ワールドカップに出場した。現在はJSPORTSで放送されている『Foot!』で、高校年代の大会や選手を紹介する木曜日のコメンテーターを務めている。
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