日本で初めての「女性暴力団員」と認定された壮絶半生「男って血を見ると弱い。下手打った組の人間の指、私が数人飛ばしましたよ」
「女ヤクザ」とよばれて#1
日本で初めて国に「女性暴力団員」と認定された女性がいる。その名は西村まこ。ケンカ、恐喝、拉致監禁、管理売春、シャブ屋(覚せい剤販売)など、ありとあらゆる悪事を重ねて刑務所に収監。出所後に組から破門され、一時は子育てに励むも、その後再び、40代前半でヤクザに戻った過去を持つ。そんな半生を振り返った自伝『「女ヤクザ」とよばれて ヤクザも恐れた「悪魔の子」の一代記』を上梓した西村まこさんに話を聞いた。 【画像】親分の盃を受けたときの、左手小指のない美人すぎる「女ヤクザ」
女ヤクザ、先手に負けなし
――「極道の妻」はこれまで耳にしてきましたが、女性でヤクザの構成員がいるなんて初めて知りました。 西村まこ(以下同) 私も刑務所内で暴力団からの脱退届を書かされたときに、刑務官に「あんたが日本初だから、こんなに時間かかるんよ」とイヤミを言われ、「女のヤクザっていないんだ」という事実を知りました。 ヤクザ映画でもよく見かけるシーンですが、私が出所したときに刑務所の門前に組員が2列に並び、一斉に「お疲れ様でした」と深々と頭を下げたんです。それを見た所長が「こんな光景、初めて見る」と驚いていました。というのも、女子刑務所にヤクザはいませんから。 ――そもそもどういういきさつで、女ヤクザになったんですか? 中学2年くらいからグレはじめ、高校には行かず、地元(岐阜県)でヤクザや不良とケンカばかりしていて、負け知らずと噂になっていたんです。20歳のときに住吉会系の組の親分から「女でもいいからヤクザやれ」って誘われて、「やります」と即答して入りました。 その頃、別の組からもスカウトを受けていたんですが、なんかパッとしなかったので断った記憶があります。当時はヤクザをやるならイケイケのほうが格好がいいと思っていました。 ちなみに、私の親分は元ヤクザで作家の安部譲二と同じ刑務所にいたことがあり、映画『堀の中の懲りない面々』に「人差し指のないリョーちゃん」として登場しています。 ――女ヤクザと聞くと、男勝りのプロレスラーのような体型を想像してしまうのですが、西村さんは体重50キロもないですよね。アウトロー系の男性とケンカしても平気だったんですか? 負けないですね。ケンカは日常茶飯事で。とにかく先に手を出す。手を出したもん勝ちですよ。 ――「先手必勝」とは、大山倍達総裁(極真空手創設者)と同じことを言ってますね(笑)。 まず相手の脚を狙って立てなくして、上から攻撃をしていました。メリケンサックが効くんですよね。顔面にガーンっていくと裂けて血が出て。男って血を見ると弱い。女のほうがそういうことに関しては、図太いですよ。 ――普通、「ボコボコにされたらどうしよう」って不安もよぎると思うんですけど……。 不安にならないように、自分は絶対に勝つんだって思うようにしていましたね。とにかく言い聞かせて、メンタルは鍛えていました。 ヤクザになってからは、キックボクシングに通っていましたし、負けてその噂がたったらヤクザとして終わりですから、ケンカの準備は怠らなかったですね。 ――逆にやられたことはないんですか? 10代に2回ほど。生意気だってことで大勢に囲まれてやられました。中学校の先輩や暴走族の先輩ですよね、男も混ざっていて。全然痛くなかったですけど……。