【厩舎のカタチ】ホースマン人生を変えた学び ~武英智調教師~
「目先の一勝」にこだわる理由
厩舎で年初に掲げた目標は「40勝、獲得賞金10億円、GⅠ制覇」。最初のGⅠで早々にひとつをパス、賞金も師走の大勝負次第。一見して最も遠いのが勝利数である。師は「勝つこと」を今の目標に掲げる。ゲスト出演した競馬番組でも「目先の一勝」と色紙に記したほどで、藤沢和雄元調教師が貫き、多くのホースマンにも宿る「一勝より一生」の精神と相反するようにも思える。だがもちろん無理使いや年初目標への固執はなく、その理由もまた師らしい。 「馬を中心として、人間関係でできている世界。その中で4年に1頭しか預かれないオーナーもいらっしゃいます。競馬を楽しむために僕を選んでもらえたなら、今は馬房数を増やすことを中心に考えていきたいんです。本当にいい人ばかりで断るということは、できればしたくない」 馬房数20の武厩舎の預託上限頭数は、2・5倍の50頭。記者が聞く限りでも「馬を預かれない」との声をよく耳にする。生産頭数や馬主数の増など環境も変わる今、考え直してもと思うところはあるが、決められたルールの中で、多くの人馬と歩む道を模索する。 「まずは一勝して長く、しっかり走らせたい。そのために、全体の出走回数を増やす」。良好な関係を築く牧場と連携を深め、最適なタイミングで馬を出し入れし、適条件で勝利をつかむ。「どうやって馬を回すか、週3回は夢に出てきますよ(笑い)」。向き合い続けた分、出走回数は年々増加をたどっている。 師に話を聞いた後、あえて漠然とした質問を、スタッフ12人全員にぶつけてみた。先生のすごいところはどこですか? 「次々に新しいことを進めて、ベテランにも新しい世界を見せてくれる」「研究熱心でぶれない」「馬の回転」「こちらも驚かされるレース選択」…。これまでの話を反すうするかのような答えが返ってきたが、ひとつの共通項があった。それは笑顔で答えに窮することがなかったこと。こちらもほほ笑ましくなりながら、ある言葉を思い出した。個人・大手馬主、さらには牧場へと、数え切れない感謝を並べたときのことだ。 ――人を引きつける魅力がありますよね。 「そんな人間じゃないですよ。ただやっぱりウソは言いたくないですし、思ったことは正直に伝えて、取り繕ったりせずにいます。付き合いだしたら、長い方ばかりです」 開業初期から支えるスタッフ、そして愛馬たち。みんなで経験を重ね、彼らと作り出す清らかな風は、関わる人々の思いも乗せて、厩舎を上昇気流へと運ぶ。 【プロフィール】 武英智(たけ・ひでのり)1980年12月31日生まれ、滋賀県出身。父・永祥、祖父・平三も元騎手という競馬一家に育ち、武豊騎手、武幸四郎調教師は再従兄弟(はとこ)。99年に騎手デビューし、JRA通算66勝。2012年9月の引退後、木原一良厩舎の調教助手を経て17年に調教師免許を取得し、翌18年に厩舎開業。今年のフェブラリーSをペプチドナイルで制し、GⅠ初制覇を果たした。JRA通算2063戦166勝(11月24日終了時点)。
和田 慎司