【厩舎のカタチ】ホースマン人生を変えた学び ~武英智調教師~
厩舎を軌道に乗せた策と縁
「馬には申し訳ない思いもあるんですけどね」 今も逐一目にする勉強資料をつづった厚手のファイルに手をやり、馬房の方に視線を送る。夜に人気(ひとけ)があることをおもんぱかってのことだ。だが、目をつむるもの、カイバ桶に夢中なもの、一点を見つめるもの。それもどこ吹く風である。それ以上に、〝復習〟は彼らをも支えている。 厩舎は3年目、14勝と成績を落とした。「いい時にやっても、何がいいか分からない」。すぐに行動を起こした。体や筋肉の疲労回復、適度な負荷をかけることにより生み出される良好な血液循環、薬品の投与可能期間とケア期間の両立…馬との学びにより生み出された結論が〝本追い切りは前週の土曜日に行う〟。 この前後にも、試みを重ねた。心拍の戻りを1年がかりで研究し、季節ごとの上がり運動の有無や時間を設定。ウオーキングマシンやエアコンもいち早く導入した。翌21年からは29、33、32勝。騎手時代とは一転、大きく成績を伸ばした。 数々の取り組みには、スタッフの理解も欠かせない。騎手時代の1期先輩で、開業時から厩舎を支える荻野要調教助手を筆頭に、騎手時代、遡れば競馬学校時代や幼稚園児の頃から付き合いのある、気心知れた者も多い。「前に出すぎない、同じスタンスの人が集まっている」と称する面々は、穏やかにまっすぐ仕事をこなす。それに応じ、ほとんどの馬もどこか安心感を漂わせている。 そういえば、あの馬はどうだったのか。メイケイエールを担当した吉田貴昭調教助手に聞いてみた。「厩舎では…そうだったんですけどね(笑い)」。レースに挑む彼女を「気性難ではなく、真面目すぎる」と師が評したその意味が、改めて分かった気がする。 厩舎を一躍有名にした、メイケイエール。牡馬を希望する馬主にお願いして、ホレた牝馬を購入したのはよく知られた話だが、〝メイケイ〟馬は木原厩舎やかつて父・永祥(ながよし)氏が騎手、助手として在籍した田中章博厩舎にもいて、そのつながりは長い。 今年、厩舎に初のGⅠタイトルをもたらしたペプチドナイルの馬主・沼川一彦氏夫妻もそう。「〝こういう人っているんだな〟と。ずっと信じていただいています」と語る例のひとつに、そのフェブラリーSを挙げる。「勝つと思って来てください」と伝えたが、単勝は11番人気。しかし伏兵はその言葉通り、混戦を断った。驚きに包まれるはずの状況にも「勝つって言ったから、勝つんでしょ」と夫人から返されたという。20年以上、親子のような付き合いでたわいもない電話も欠かさない。「人格者」の夫妻と連れ立って牧場に行くとその都度、「心清らかになって帰ってくる」のだそうだ。 余談だが、いにしえのゆかりも紹介したい。師が騎手時代に唯一勝利したオープン競走(07年すずらん賞)で騎乗したのは〝ペプチド〟ルビー。沼川オーナー初のオープン勝ち馬には、「ウチの荻野も、乗せてもらったことがあるんです」。 沼川夫妻が尊敬の対象なら、ジューンベロシティ、テイクきょうだいの吉川潤氏は同志といえる。同期・高田潤騎手からの紹介で、最初は結果が伴わなかったが、それがむしろ関係を深める契機に。熱が高まり、繁殖牝馬を購入した吉川氏からの「おなかの子を預かってほしい」という依頼を快諾。その子馬はジューンベロシティと名付けられ、武厩舎へ。飛躍を続け、頂(中山大障害)まではあと一歩だ。