ドラゴンはなぜ“ラスボス”になったのか、古代ギリシャから現代まで進化の歴史をひもとく
リアルな動物に近づき悪魔そのものに
13世紀以降にゴシック美術が発展すると、竜の絵は複雑になっていった。アリストテレスの自然に関する著作物の再発見や、アラビア語の『光学の書』の研究により、自然の姿がより現実的に描かれるようになったためだ。 この時代の竜の絵は、爬虫類や両生類、猛禽類といった、実在する動物に似た姿で描かれている。解剖学も詳細に研究され、20世紀の美術史家ユルギス・バルトルシャイティスが指摘するように、ゴシック様式の竜はしばしば、コウモリやガのような薄い膜状の翼に、目立ったトサカ、背骨、尖った尾を持っていた。 また、本物のトカゲやワニのように4足歩行をする竜も増えた。中世の終わり頃になると、怪物のような竜の顔は、悪魔そのものを表すようにもなった。
倒すべき「悪魔的なものすべての象徴」
竜退治の物語は、中世の人々の間で人気の題材だった。なかでも最も有名なのは、古代ローマの軍人だった聖ゲオルギウス(セント・ジョージ)の竜退治伝説だろう。 カッパドキア(現在のトルコ)出身で、キリスト教に改宗したゲオルギウスは、「リビアの町シレネの王が、竜の食欲を満たすために町の人々をいけにえとして差し出さなければならない状態だ」という話を耳にした。 いよいよ王の娘がいけにえにされそうになったとき、ゲオルギウスは竜に戦いを挑んだ。槍で竜に傷を負わせた後、王女に案内させて町に入ったゲオルギウスは、町中の人々がキリスト教に改宗すれば竜にとどめを刺すと誓った。これに町の人々が同意したため、ゲオルギウスは竜の首をはねたという伝説が残っている。その後ゲオルギウスは、西暦303年のローマ帝国のキリスト教徒大弾圧の際に殉教したとされる。 その後、中世の竜は、混沌、無秩序、罪、さらには悪魔的なものすべての象徴であり、支配され、抹殺されなければならない存在となった。ある意味動物ではあるものの、奇妙で、異質で、幻想的な怪物だった。 それからさらに数百年が経ち、現代のポップカルチャーに描かれる姿として生き残ったのは、竜の悪魔的側面よりもむしろ、この幻想的な側面だったといえるだろう。
文=Nadia Mariana Consiglieri/訳=荒井ハンナ