伊与原新さん

　研究者の経歴を生かし、気象や天文など科学の要素を織り交ぜた人間ドラマを描いてきた。最新刊の短編集「藍を継ぐ海」に収めた「祈りの破片」は、物言わぬ岩石やコンクリート片から長崎の原爆の記憶がよみがえる一編だ。 【写真】新作短編集『藍を継ぐ海』の表紙 　長崎市近郊の町役場で空き家対策を担当する小寺は、住民が「えすか（怖い）家」と呼ぶ空き家を訪れる。そこには大量の岩石や割れたガラス、陶磁器が保管されていた。＜一部熔融＞＜微小ノ発泡アリ＞などと、状態を記録したノートもあった。空き家を調べ始めた小寺は、原爆で焼け野原となった長崎で、ある人物が取った行動を知る。 　モデルとしたのは、原爆投下後の広島で岩石や瓦を集めた長岡省吾・初代広島平和記念資料館長だ。原爆や戦争を扱うことに対し「自分が書いて良いのか」と葛藤も持ちつつ「科学的なアプローチをした人が何を思っていたか。フィクションとして残すことなら僕にできるし、意味があると思っている」と話す。 　1972年大阪府生まれ。東京大大学院では地球惑星科学を専攻し、博士課程を修了した。富山大助教を経て作家デビュー。「月まで三キロ」（2018年）で新田次郎文学賞を受賞、「八月の銀の雪」（20年）で直木賞候補になるなど、実績を積んでいる。 　「祈りの破片」以外の4編にも地学や生物学の知見を落とし込んだ。山口県の見島で地質を調べる女性研究者は、陶芸用の土を探す男性と出会う。山深い奈良県の吉野に移住したウェブデザイナーは、絶滅したはずのニホンオオカミを目撃したという少年と心を通わせる。「それぞれの地で受け継がれた歴史もテーマになった」。他に北海道、徳島県を舞台とし、空間と時間の広がりを意識した。 　5編を通じて描くのは、広く知られなくても、地道に自分の知りたいことを調べる人々だ。「そういう人がいないと学問の裾野が広がらない。文化としてつまらない」との思いもある。 　ここ数年、研究者からの反響が増えたという。定時制高校の科学部が舞台の近作「宙（そら）わたる教室」はテレビドラマ化され、今月からの放映が控えている。　（諏訪部真）