アメリカ屈指の老舗「ペンドルトン」はなぜ、100年経っても、古さを感じさせず、普遍的でいられるのか
1924年の誕生より、100周年を迎えたペンドルトンのウールシャツ。その歴史的傑作にして超ロングセラーは、いかにして生み出されたのか。今回は、来日した経営陣にビジネスの側面から語ってもらった。 【アイテム写真】「ペンドルトン」のブランケット、ホームコレクションetc.
アメリカの一部となった老舗の魅力
英国からの移民であった毛織物職人トーマス・ケイにより、1863年米国オレゴン州にて毛織物工場として創業されたペンドルトン。当初は毛織生地の生産のみだったが、ケイの娘ファニーが小売商のC.P.ビショップと結婚したのを機に、事業をSPA(製造小売業)に拡大。なかでも地元のネイティブアメリカンとの交流から、彼らに代々伝わる民族柄を鮮やかにアレンジしたウール製のブランケットを開発。瞬く間に全米の先住民たちに大ヒットし、現代にも続く代表的な商品となる。1912年にはファッション衣料にも進出し、1924年には不朽の名作となるウールシャツを発表。アパレルを中心とする企業としての礎を築いた。 こうした歴史を経て、ペンドルトンは現在7代目となるジョン・ビショップCEOと、彼を補佐するボブ・クリストノックバイスプレジデントが切り盛りする。アメリカの家庭にはブランケットが必ずと言っていいほど備えられており、クローゼットには代々着られてきたウールシャツがかかっているほど、アメリカのライフスタイルに溶け込んでいるペンドルトン。“American Conscience(アメリカの良心)”とまで謳われる、その企業としての魅力はどこにあるのだろうか。
「覚悟をもって、アメリカ生産にこだわっているのです」
―― ペンドルトンは160年を超える歴史を歩んできた老舗企業ですが、これまで経営が苦しかったのはどんなときでしょうか? ジョン それはたくさんありました。例えば、工賃が低い国で生産した同じカテゴリーのブランドが台頭してきたときなどです。私たちはラインナップの一部をアメリカ国内で生産しており、どうしてもコストが割高になってしまう。それでは価格競争で太刀打ちできないのです。そのため私たちもカットソーなどをメキシコでアウトソーシングし、平均価格でバランスを取るようにしています。 また、アメリカでは近年小売業界の再編があったのですが、その影響にも苦労しました。これまではディラーズやメイシーズなどの小売大手でも扱ってもらっていましたが、百貨店のメイシーズでは私たちの規模では小さすぎて扱ってもらえなくなったのです。その対策として直営店舗を全米で30店まで増やし、ウェブストアにも力を入れています。結果的にBtoC(企業対消費者取引)に注力するようになり、カスタマーに近い関係でビジネスが行えるようになったというメリットもありましたが。 ―― アメリカ国内での生産はどれくらいなのでしょうか? ボブ 現在、アメリカ国内で生産しているのは、ブランケットとウールシャツ用の生地、それと一部のウィメンズのアウターのみです。それでも国内生産を維持するために、新しい機械を導入するなど、ここ5年でかなりの設備投資を行なってきました。ブランケットとウールシャツに関しては、今後も国外で生産することはないと断言できます。それほどの覚悟をもって、アメリカ生産にこだわっているのです。 ―― 日本には1980年代より進出していますが、市場としてどう捉えていますか? ジョン 日本は世界的に見ても、最も重要な市場のひとつです。日本のカスタマーは感性が素晴らしく、受け入れられているのは誇りに思っています。また、日本からのリクエストや解釈がいつも新鮮であり、新しい視点やインスピレーションを与えてもらっているのです。そういった面からも興味深い市場のひとつですね。