創業15年で年商100億突破「エコリング」桑田社長の生き方
借金まみれになり、融資も断られ
片手間でプログラムをつくりながら、そんな中古品を販売していたが、生活は困窮を極めた。「貧困だったので借金まみれになっちゃいまして。当時は借金取りから毎日のように電話がかかってくるわけです。そうなってくると、精神的にも追いつめられるし、仕事も手につかないし。当時で言うと、500万円くらい。それがなぜか闇金屋で。これも元々公務員で世間知らずだったから、消費者金融に行かずに闇金屋に行ったんです」 そんな中、融資を受ける手段を考え、ビジネスモデルを作って国民生活金融金庫(国金)に融資500万円を申し込みにいく。桑田社長は公務員時代は書類のプロ。だから絶対に落ちないと思っていたが、けんもほろろに、融資を断られてしまう。 「ウソだろ、と思った。自分の人生を振り返って考えると、まったく社会に必要とされていない。そんな気持ちになってしまって。だから自殺を考えた。自分が死んだところで誰にも迷惑がかからないし、というような感じで。そう考えた時に、1人だけ迷惑をかける奴がいた。それが毎日電話をかけてくる借金取りなんですよ。あいつには迷惑かけるなと思って。その場で電話をかけて事情を話し、『2か月間電話連絡やめてくれ。その間、集中してプログラミングをつくるから』ということで…」 こうして2か月間心血を注いでプログラムを作った。借金取りからも電話はなかったという。 「そのプログラムを企業に売却するんですけど、得たお金が2200万円。当時、借金は積もり積もって750万円くらい。ようやくそれを返しました。なんだかんだで手元に750万円が残りました」
ボロボロ・クタクタ買い取ります
そして何を起業するか。現在は専務取締役の田中伸悟氏と話し合ったという。田中氏は京都の元板前。社長が無職の頃、2人は将来について語り合った仲だった。オークションのビジネスをするか、専務の技術を活かしたお茶漬け屋をやるか、最終的に資金を出す桑田社長のビジネスを選び、ついに2002年9月に1号店の姫路店がオープンすることになる。買取専門のショップで、外装費などに資金を注ぎ込み、残った運転資金はわずか150万円だった。その時、「ボロボロ・クタクタ」を買い取るという広告を作成した。 ──1号店にはお客が殺到したとか? 桑田社長:コンセプトを練って、質屋さんが買わないものを買おうと考えました。そのコンセプトが、『ボロボロ・クタクタ買い取ります』です。ぼろぼろの商品はどこも買い取ってくれないわけですから。チラシにそれを書いて、自分の足でポスティングして。新聞の折り込み代もなかったですから。で、ぱっと店開けたら、いきなり、びっくりするようなお客さんが来るわけですよ。我々の商売、お客さんが来れば来るほど、結果的には儲かっていくんですけど、その場では儲からない、どんどん貧乏になっていく。貧乏に拍車がかかっていくんです」。それでも、売上は1億から3億円に。創業3年目で年商10億に。組織づくりにも力を入れ、その間に辞めていった社員も大勢おり、リーマンショックでは地獄を見たともいうが、何とかそれを企業パワーで乗り越えてきた。