創業15年で年商100億突破「エコリング」桑田社長の生き方
創業15年で年商100億突破「エコリング」桑田社長の生き方 THEPAGE大阪
創業してわずか15年で年商が100億円を突破した会社がある。業界初のブランド品買取専門店を運営する「エコリング」(本社:兵庫県姫路市)だ。創業は2001年(平成13年)で、今やブランドリサイクル業界の第4位。売上はさらに伸びており、現在、関西、関東、東海地区を中心に69店舗を展開している。さらに香港出店を皮切りに中東のドバイ、フランスなど6か国に店舗を構え、「アジアNo.1企業」を目指している。飛躍的な成長の要因は「ブランド品買取専門というビジネスモデルがよかった。買い場だけにして、売り場を捨てたわけです。ブランドリサイクルショップで売り場を捨てたっていうのは考えられないですよね。単純に資金がなかったからですが(笑い)」。そう話す桑田一成社長(48)は元郵政相の公務員だった。だが、これまで決して順風満帆ではなく、会社の危機に瀕した時には、地獄も見た。「このビジネスの原点は極貧状態のとき、家にあるモノをネットオークションで売り始めたことです。モノを売ってお金にしていたんです」という。そんな波乱に満ちた桑田社長に話を聞いた。
卒業後は郵政省に入省30歳で退職
「エコリング」は会社設立から15年で顧客の登録は約30万人。年間の買取人数は3万人、オークションへの出品は毎日1000点にも及ぶ。国内の店舗では買取だけを行い、販売は本社内のトレーディングセンターとネットのオークションサイトで行っている。2015年度は売上112億1000万円、今期の売上は国内145億円、海外8億円を見込んでいるという。商品価値を見極める確かな技術と、仕入れから時間を置かずに「高速販売」することで商品相場の下落リスクを回避し、着実な成長を遂げている。 だが、ここに至るまで、数々の失敗も経験し、その半生は波乱万丈と言っていいだろう。姫路出身の桑田社長は桑田家の14代目で、桑田家は代々医者の家系だったが、11代目で医者は途絶えていた。 父親は消費者金融を生業にしており、幼少時は非常に裕福だった。しかし、小学校の頃に父親の会社が傾き、やがて両親は離婚。そこから桑田社長の人生は変わったのかもしれない。中学、高校を卒業し、大学は医者としての開業が比較的可能な日本大学の獣医学科に進んだ。 ところが、卒業後は郵政省に入省した。そして30歳で退職。「郵政民営化が叫ばれていて、将来に不安を感じたこと」が、退職の理由だった。 「退職してプログラマーとしてやっていこうかなという感じで考えていました。プログラム開発なら、場所さえあればどこでもできるじゃないですか。ただ、姫路に帰ってきてもぷらぷらしてて、プログラムのアイデアもないし。結局、うまく行かずに2年半くらいですかね、お金がなくなって、極貧状態を過ごした」と当時を振り返る。 また「何らかの収入を得なければいけないということで、自分の身の回りの物を売ることにしました。当時ネットオークションができた頃で、身の回りの物をどんどん売り、やがて売れる物がなくなってしまって。結果、これは仕入れないといけないと思って。知り合いに質屋さんがいたので、消費税5%負けてもらって、そこで仕入れてインターネットに出していた。それはそれで店頭より高い値段がついた物もありましたから、けっこう収入になるなというのがわかった」と続けた。