周囲の人々を戸惑わせた、光君の「大胆な申し出」 「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・若紫③
「こんなふうに申し上げるのにはしかるべきわけがあると、お考えになってください」と君がなお言うので、女房は下がってそれを尼君に伝えた。 まあ、なんて大胆なことを。姫君が男女のことがわかる年齢だとお思いなのかしら。それにしても、あの「若草」の歌をどこでお聞きになったのでしょうね……と、尼君はあれこれと不審がって気持ちが乱れるが、返事が遅くなっては失礼にあたると思い、 「枕ゆふ今宵(こよひ)ばかりの露けさを深山(みやま)の苔(こけ)にくらべざらなむ
(今宵だけの旅寝の枕に結ぶ草の露を、深山に住む私どもの苔の衣の露とお比べにならないでください) 私どもの袖こそ乾きそうにございませんのに」と、返歌を伝えた。 「このようなお取り次ぎを介してのご挨拶は、私にはまったくはじめてのことです。恐縮ではございますが、真面目に申し上げたいことがあるのです」と光君が伝えると、 「何を誤解なさっているのでしょう。本当にご立派なご様子ですから、ご対面してどのように返答してよいのやらわかりません」と尼君はためらっている。
「けれど、決まり悪い思いをさせてしまってはいけませんから」と、女房たちは対面を勧めた。 「そうですね、年若い女性なら困ったものでしょうが、そうではない私ならかまいますまい。御心をこめておっしゃってくださるのだから、畏れ多いことです」と、尼君はいざり寄った。 ■亡くなられたという母君のかわりに 「はじめてお目にかかりますのに突然こんなことを申し上げては軽薄と思われるかもしれませんが、私自身はいたって真剣です。御仏はもとより私の真意をお見通しと思います」
と光君は話しはじめるが、尼君の落ち着きはらった気詰まりな様子に気後れして、すぐには言い出すことができない。 「いかにも、思いもかけませぬこのような時に、こんなに親しくお話を伺えますのは、軽薄なんてとんでもないことです、ひとかたならぬお気持ちからと存ぜられますが」と尼君は言う。 「姫君はおいたわしいお身の上と伺いました。この私を、亡くなられたという母君のかわりと思ってくださいませんか。私もごく幼少の折に、親身にお世話いただけるはずの人に先立たれ、ずっと頼りない気持ちで虚しく月日を過ごしています。姫君も私と同じようなお身の上でいらっしゃるようですから、お仲間にしていただきたいと心から申し上げたいのです。こうした機会はめったにありませんから、どのようにお思いになられてもかまわないと思い切って申し出た次第なのです」