周囲の人々を戸惑わせた、光君の「大胆な申し出」 「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・若紫③
僧都は、この世の無常やあの世のことなどを話して聞かせる。それを聞いていると光君は自分の罪の深さがおそろしくなり、どうすることもできない思慕の情にたましいを奪われて、生きている限りこのことで苦しまねばならないのだろう、ましてあの世での苦しみはどれほどだろうと考える。いっそ世を捨ててこんなふうな出家生活をしたいと思うものの、昼間の女童の顔がありありと浮かび、忘れがたく恋しい。 「こちらにいらっしゃいます女の方はどなたですか。そのお方の素性を確かめてみたいと思う夢を見たことがあります。今日、こちらに参って思い出しました」
光君が言うのを聞いて僧都は笑う。 「ずいぶんと突然の夢のお話でございますね。お確かめになったところでがっかりなさるのがオチでございましょう。按察大納言(あぜちのだいなごん)は亡くなってから久しくたちますので、ご存じではありますまい。その妻がわたくしの妹でございます。その按察が亡くなって後、尼になっておりますが、このところ病み患うようになりました。ご覧の通りわたくしが京にも出ずに山ごもりしておりますので、ここを頼りにしてこもっているのでございます」と、僧都は話す。
■だからあのお方に似ているのか 「その大納言にはご息女がいらっしゃると伺ったことがありますが……。いえ、色めいた気持ちではなくて、真面目に申し上げているのですが」と光の君は当てずっぽうに言ってみる。すると僧都は話を続けた。 「娘がひとりおりました。もう亡くなって十数年になりますか。父である大納言が、入内(じゅだい)させようとたいそうだいじに育てていましたが、その望みを見届ける前に自分は亡くなってしまいましたので、妹が苦労して育て上げました。それが、いったいだれが手引きしたものやら、兵部卿宮(ひょうぶきょうのみや)さまがお忍びで通ってこられるようになりましたんですが、兵部卿宮さまのもともとの奥さまはご身分の高い方で、娘には心の休まらないことが多くて、明けても暮れても思い悩んで、とうとう亡くなってしまいました。気苦労から病気になるものだということを、目の当たりにしましてね……」