「虚無にはごはんが効く」疲れた自分をいたわる食事の力をフードエッセイスト平野紗季子に聞いた
食べ物の刹那的な魅力を、唯一無二の表現で綴るフードエッセイストの平野紗季子さん。「自分が自分でいるためには、ごはんを食べて感じる時間が必要不可欠」と語る平野さんを支える味とは。 フードエッセイスト平野紗季子さんインタビュー(写真)
ごはんを食べる行為が自分を自分たらしめる
――小学生の頃から、どこでなにを食べたのか食日記を綴っていらっしゃるそうですね。今にいたるまで20年近く続けるモチベーションの源はどこにありますか。 平野さん:食体験について感じたことを記録することは、もう自然なルーティンになっているので、特別に続けようとは意識していないんです。食日記に対してモチベーティブでいる必要がないというか。 今はすべてスマホのメモに書き留めていますが、始めた頃は自由帳に書いていました。その後は文房具屋さんで見つけた「食べものノート」みたいなやつに。食日記のいちばん古い記憶は、たしか給食に出た「タラのクリームグラタン」。あまりにおいしかったんでしょうね(笑)。食べものは、どんなものでも食べたら消えてしまうから、何らかの形で残しておきたいという気持ちはずっと変わっていません。 ――大学生時代に発信していたブログをもとにした初の著書『生まれた時からアルデンテ』が話題になりフードエッセイストとしてのキャリアをスタートさせます。それから約10年経ちましたが、心境の変化はありましたか。 平野さん:『生まれた時からアルデンテ』を刊行したときは、まだ大学を卒業したばかりでしたし、ただただ食の眩しさに心を奪われていたというか、どこが前なのか後ろなのかわからないくらいに、乱反射の中に身を置いていたっていう感覚なんです。時を重ねていくうえでだんだんと一面的な光だけでなく、影の部分というか暗がりにある食の世界も見えてくるようになったように思います。 食体験を立体的にとらえることができるようになってきたな、と感じることが増えてきたのがこの10年間。喜ばしいハレの食べものだけが日々口に入るわけではないし、それだけが価値のすべてではない、ということを身をもって知っていく期間でもあったと思います。 会社員時代にプレゼンの資料づくりが終わらなくて、夜中の2時になっても帰れない。必死で仕事をしているなか、誰かが買ってきてくれた吉野家の牛丼の味とか、発砲スチロールの容器からお米こそげとるカサカサという音とか、むしろそういったもののほうが記憶に残ってたりするんですよね。その渦中にいたときは、なんてしょっぱい日々なんだ、早く思い出になってほしいと願っていましたが、今はあのときの日々を愛おしく感じています。