【ウォール街回想記3】米金融業界、激動の1960~70年代 誰が勝ち抜いたのか
1970年代の米金融業界再編 証券会社は集約化、投資銀行は倒産
1960年代が終わると同時に、証券不況が到来し、業界再編成の第一歩が始まったのが70年代です。現在もメリルリンチ(バンクオブアメリカ・メリルリンチ)は個人営業でトップの座を堅持していますが、小規模や支店網多数の証券会社も同様に淘汰が始まり、70年代から集約化が進行しました。 それに対し、資本市場での引受業務を担う投資銀行は、いずれもが伝統ある特権クラブのような形態で存続していたにもかからず、時代の波に押され、そのクラブ体制も怒涛のごとく崩れ去りました。 当時投資銀行の雄はモルガンスタンレーで、資本調達の引受業務で最大の引き受け金額を請け負った4社(モルガンスタンレー、ファーストボストン、クーンローブ、ディロンリード)がバルジ(出っ張った)・ブラケット会社として幅を利かせていました。しかし1970年代に入ると、実力面で劣るクーンローブとディロンリードは引きずり降ろされ、販売力に勝るソロモンブラザーズ、ゴールドマンサックスとメリルリンチが仲間入りを果たしました。 それまで唯一ユダヤ系で活躍したクーンローブは、1867創業で、米国の鉄道建設や石油産業の資金調達に貢献し、当時モルガン財閥の最大のライバルとして活躍しました。そして、ドイツ出身であったため、欧州の国債発行を多く手がけ、日露戦争では、大日本帝国の起債を引き受けた功績も残しています。 バルジ・ブラケットを含む20社が証券発行の大半を引き受けるメジャー・ブラケットとしての地位を保っていました。そして、証券会社の多くは、伝統、発祥形態や人種で、それぞれの特色を持っています。 当初バルジ・ブラケットで唯一のユダヤ系はクーンローブで、それ以外はアングロ・サクソン系で固めていました。アイルランド系ブローカーで、レーガン政権の財務長官となったリーガン氏まで、メリルリンチのトップは例外なくアイルランド系が支配していました。現在実力トップとされるゴールドマンサックスはユダヤ系で、歴史的には新興勢力です。 資本市場の重要な役割を担う引受業務は、財界においても大いに注目されました。企業の証券発行は新聞などにも大々的に広告が掲載され、投資銀行は切磋琢磨して競争に励みました。企業名、発行金額や形態などが広告の内容を占め、引受会社は幹事会社を筆頭に引受地位と金額に応じ、序列が示されます。発行体のロゴ以外は金額と数字だけが表示され、その下に序列順に投資銀行名が連ねます。あたかも墓石のような広告で、それら広告の名称もトゥームストーン(墓石)と称され、投資銀行の地位と名誉を誇示する手段でした。