【ウォール街回想記3】米金融業界、激動の1960~70年代 誰が勝ち抜いたのか
産業自由化で異業種が金融業へ参入 バーナムとドレクセルの合併の先に
さて、私が勤めていた証券会社バーナム・アンド・カンパニーは、実力をつけていたものの、伝統的投資銀行業務では大手の仲間入りができませんでした。目を付けたのが、斜陽のドレクセルでした。産業自由化が進行中の米国では、事業会社の金融業の進出も可能となった時代だったのです。米国2大タイヤ会社の1社ファイヤストーンが、投資銀行の買収に手を出し、スイスのプライベートバンクとドレクセルに対し資本出資をしたものの結局、異業種参入は失敗に終わり、撤退中のときでした。 ドレクセルはフィラデルフィアを拠点に19世紀来、モルガン財閥とパートナーシップを組んだ最も伝統のある銀行でした。1933年の証券法制定後、ドレクセルがJPモルガン銀行とドレクセル銀行の証券業務を引き継ぎ、モルガンスタンレーはその後に創設されています。バーナム創業者のバーナム氏は合併を通じ、彼の功績を認めるバーナム・ドレクセルの創設を目指しました。ところが、伝統を重んじる業界は、新興勢力のバーナムではアルファベット順がドレクセルに先行するため、断じてそれを認めず、結局社名はドレクセル・バーナムに落ち着かざるを得なかったのです。 そして、その後のドレクセル・バーナムの栄枯盛衰は誰しもが夢想だにしなかったのです。ドレクセルのジュニア債券トレーダー、マイケル・ミルケン氏は、その後格付けの低い債券市場を創設し、1980年代にドレクセル・バーナムは世界最大収益を誇る証券会社に成長し、その後は倒産を余儀なくされる運命をたどるのです。 (あおぞら証券 顧問 伊藤武)