<ミャンマー現地報告2>抵抗勢力の暫定統治進むカレンニー州、戦闘と空爆の爪痕(写真12枚+地図)
◆結束するカレンニー武装勢力
「軍事クーデターを国民全体が認めていません。我々は人民とともにあるという立場から、停戦を正式に破棄し、攻撃したのです。準備に時間がかかりましたが、我々は、クーデター後、正式に反旗を翻すまでの間、多くの若者に軍事訓練を施し、武器を提供し、逃れてきた公務員や議員の安全を確保するなど、さまざまなかたちで支援していました」 KNPLF共同書記のローレンソー氏(53歳)は、そう明かす。
KNPLFは2009年以降、第1004・第1005国境警備隊(BGF)として、国軍傘下に組み込まれていた。一方で、KNPLFという母体組織は独自に存続。反旗を翻す以前から、KNPLF幹部のひとりは、軍事政権と対立する並行政権の国民統一政府(NUG)で連邦問題担当副大臣を務めていた。均衡を保ちながら、蜂起するための力を蓄えていた。 カレンニーの武装勢力は、KNPLFのほか、1957年に設立されたカレンニー民族進歩党(KNPP)、クーデター後にカレンニーの若者たちで結成されたカレンニー諸民族防衛隊(KNDF)、地域ごとの人民防衛隊(PDF)がある。これら複数の武装勢力が、作戦ごとに指揮官を変え、ひとつの指揮系統で共同して作戦にあたっている。 KNPPの軍事部門カレンニー軍(KA)のアウンミャ総司令官(74歳)の話では、現在、カレンニー州の約70パーセントを抵抗勢力側が掌握しているという。
◆空爆の爪痕
メーセの町には、国軍による空爆の爪痕が生々しく残っていた。 「ここには空から投下された爆弾が不発のまま、道路に突き刺さっていました。あそこに一発、あちらの建物にも一発落ちました」。巡回中の男性警官が指さした。
建物のひとつは、内務省総務局の官舎だった。2023年6月にメーセの戦闘が始まった直後、国軍の空爆で破壊されたという。天井が抜け落ち、壁には爆弾の破片による穴が所々に開いていた。残った壁には、額縁やハンガーがそのまま掛けられていた。 メーセ周辺の住民の大半は、それまで空爆を経験したことがなく、戦慄し、強い恐怖が胸に刻み込まれることとなった。 (つづく)
【地図】首都ネーピードーの東に位置するカヤー州は、人口も面積もミャンマー最小。抵抗勢力側は1948年独立当初の「カレンニー州」を用いる。カヤーは一民族を指し、カレンニーはこの地域に暮らす諸民族の総称を表すものと捉えている。(地図作成:アジアプレス)