関電の金品受領問題 第三者委が会見(全文5)できる限りのことはした
全容解明にどれだけ近づけたのか
読売新聞:最後1点、第三者委として5カ月間いろいろと調べてこられて、全容解明にどれだけ近づけたのか、心残り、残された謎といいますか埋めきれなかったピースとか、そういったものというのは但木委員長はどのようにお考えでしょうか。 但木:もちろん私たちには限界があって、時間的限界で、いつまでやってもいいよっていう、そういう性質のものじゃない。関西電力という1つの公共的性格がある企業が、何も前向きなことは決められませんよという状態をいつまでも続けるわけにいかないのは確かなので、私たちに時間的限界はあります。それからもう1つ決定的なのは、非常に重要な人たちがお亡くなりになっているということですね。それで、もう届かないものはたくさんあるということだろうと思います。 ですから、これで完全なのかと言われたらそんなことはない、完全ではありませんと。ただ、私たちが現時点でできる限りのことはしました。自分たちが、こんな不完全なもので出すのかよということを思っていることはありません。われわれとしては、やるべきことはやったと思います。おそらくこれ以上はなかなか無理だろうなという気がしています。 司会:ほかはいかがでしょうか。じゃあ、そちらの茶色いジャケットの方。
八木氏の社長就任に森山氏は力を発揮したのか
日本経済新聞:日経の【タケダ 01:53:29】ですが、人事への介入があったというふうなことは、ちらっと先ほどおっしゃったと思うんですけれど、人事に対する介入ね。原子力事業本部長だった八木副社長が社長に昇格するときに、役員会では、えー、と驚いたという声があったと聞いておりますけれども、そういう人事に、お金のやりとりがあった八木さんが社長になるに当たって森山さんがバックアップする、それがある程度の威力を発揮していたということはお考えですか。 但木:それは私たちはまったく把握していないというか、ちょっと可能性はどうかなという気がしますね。人事への介入はあったんです。ただ、それは森山さんが非常に、面倒を見てもらっていた人が、それなりの役職の人ですけど、その人を転勤させるということがありまして、それについて彼が介入というか、転勤させるのを止めようとしたというようなことはありましたね。 日本経済新聞:あと、非常に関電の幹部の方は森山さんのことを恐れているわけですけれども、森山さん自身は京都から突然、高浜のほうにやってきているわけですよね。京都のほうから。不自然な異動の仕方をしていますよね。森山さんを恐れるに当たって関電の人たちは、森山さんの後ろにもっと危ない、怖い政治家の存在というのを見えていたから怖がっていたんじゃないんですか。 但木:森山さん。 日本経済新聞:の後ろにもっと怖い政治家が控えていて、その影響力をびびって、怖がっていたんじゃないんですか。 但木:残念ながら、僕らはそこまではいけませんでした。