26歳で脳出血 後遺症『高次脳機能障害』を抱えて育児 同じ障害に苦しむ人の支えに「闘病記」出版を決意「仲間や家族の力にもなる本に」
北島さんは持ち前の行動力を生かして、3年前に「かけはしプロジェクト」という会社を設立。 同じ障害があるお母さんの居場所づくりのため、月に一度、オンラインサークルを開いています。 この日は、子育てを始めたばかりの、0歳児のお母さんが初めてサークルに参加しました。 【0歳児の母】「落ち込んだ時、『あっ、できない』とか、今までできていたことができないみたいなことが…発症したばかりなので、落ち込むことが結構あって、どうやって切り替えているのかなっていうのは聞きたい」 【北島麻衣子さん】「泣けるだけ泣きました。泣きたい時に、つらい時は泣く。落ちるだけ落ちて。私たちってどん底を経験しているじゃないですか。そこからは上がっていくだけなんで、そういうときは落ちるだけ落ちて、泣きたい時は泣く」 「ここだったら同じ経験をした先輩ママとか、今まさに同じ年齢の子どもを育てているママと、『あー、分かる分かる』とか、『そういう時はどうしてる?』とか気軽に聞けるじゃないですか。そういう場って絶対必要なんで。というか、私がほしかったので、当時」
■「不安は常にあった」当時を振り返る
6月、再び北島さんは徳島から、「闘病記の森」がある大阪に来ました。 長男の司くん(12歳)がついてきてくれました。 【北島麻衣子さん】「心強いです。全然違います。一人で来るのは不安なんで」 今回はより具体的に、実際にどんな時に北島さんが障害で苦しんだのか、当時の出来事を振り返っていきます。 【北島麻衣子さん】「こっちが(トイレの)タンク側やとするじゃないですか。便座ってこう座るじゃないですか。こうじゃなくて、後から見たら、私こっち向きで座ってたんですよ、便座に。横向きに(座って)用を足してたんですよ」
【北島麻衣子さん】「どんどん今の自分の置かれている現状を知ってきた。道には迷う、一人でどこも行けない、お風呂も一人で入りに行かせてくれない。こんな体で私、今から生まれて来る子どもを育てられるんだろうかとか、家に帰っても娘の子育てできるんだろうかとか、不安は常にあったんです」 そんな話をしている中で、司くんにこう語りかけました。 【北島麻衣子さん】「あなたがおなかにおる時やからね、知らんと思う」 司くんにとっては、初めて聞くことばかりだったのです。 Q.お母さんの話を聞いてどう思った? 【長男 司くん】「(自分が)障害も持ってないし、産んでくれてありがとうって」 北島さんは、闘病記を単なる記録にはしたくないと思っています。 【北島麻衣子さん】「『闘病記が医療資源になる』って言葉が、心にすとんって入ってきて。支援者の方が見ても、医療関係の方が見ても役に立つ。同じ仲間には背中を押せる本になってほしいし、ご家族の方の力にもなる本になってくれたら一番うれしい」 (関西テレビ「newsランナー」 2024年6月25日放送)
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