「物理的にありえないフォーク」プロ野球審判員が34年間で見た「すごい投手」とは?
プロ野球の審判歴34年を誇る井野 修氏が、球審を務めた試合で「すごい!」と感じた4人の投手を挙げる。横浜の“大魔神”こと佐々木主浩のフォーク、中日のサウスポー・岩瀬仁紀のスライダー、同じく中日のサウスポー・今中慎二の緩急と快テンポ、巨人のエース・上原浩治の図抜けたコントロールのよさ。歴史に名を刻む投手を、球審にしか見えない景色から述懐する。本稿は、井野 修『プロ野球は、審判が9割 マスク越しに見た伝説の攻防』(幻冬舎)の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● 球審のいちばん大切なことは 「先入観」を持たないこと 球審でいちばん大切なことは「先入観」を持たないことです。「バッテリーの配球はこうだろう」などと球種を予想せず、純粋に「来た球がボールかストライクか」をジャッジするのです。 私は球場のスピード表示を気にとめないほうでしたが、“大魔神”こと佐々木主浩投手(横浜)が150キロ級のストレート、そして4種類のフォークボールを持っていたことは識別していました。ストライクゾーンの中で落ちるフォーク、ストライクゾーンからボールゾーンに落ちるフォーク、右打者の少し外に逃げるフォーク、左打者の少し外に逃げるフォークの4種類です。 フォークは人差し指と中指に挟んで抜くので回転が不規則になって、うまくコントロールできない投手も多いようです。しかし佐々木投手は、4種類のフォークを意のままに操っていました。 質の高いフォークは、ボールの縫い目が見えて少し回転しながら綺麗に落ちて来ました。なぜワンバウンドになるようなフォークに打者は手を出すのかと思いました。 しかし、本当に切れのいいときは、物理的にありえないのですが、打者の直前までストレートで来て、そこから直角にストンと真下に落ちるイメージです。「もう絶対に打者は打てないな」と、感じました。
バッテリーを組む谷繁元信捕手と相性がよく、以心伝心だったのでしょう。「1球目から打ってこない雰囲気を感じた打者」には大胆にもド真ん中にストレートを投げ込んできました。ストッパーとしてマウンドに登り、走者を出さないで3人で抑えられる。それは横浜ファンばかりか、球審にとっても安心できる投手でした。 佐々木主浩 ●1968年2月22日生まれ、宮城県出身。190センチ、98キロ。右投げ右打ち ●東北高〈甲子園〉→東北福祉大→横浜大洋(1989年ドラフト1位)→マリナーズ(2000年)→横浜(2004年~2005年) ■日米通算16年=667試合50勝54敗381セーブ、防御率2.60 ■最優秀救援5度(日) ■MVP1度、ベストナイン1度、オールスター出場10度(日8、米2)、新人王(米) ■主な記録=連続試合セーブ22(日) ● 審判員は春季キャンプに参加して ブルペンで目慣らしをする 岩瀬仁紀投手(中日)のスライダーは、左腕から繰り出されて鋭角に曲がり、右打者の右ヒザ元に巻き付くイメージです。マスコミは“死神の鎌”と表現していましたね。 左打者へのシュートも厳しかったです。2004年、踏み込んで打ちにいった金本知憲選手(当時・阪神)の左手首に当たって骨折させてしまったほど威力がありました。金本選手は確か、連続試合フルイニング出場の記録がかかっていました。 審判員は春季キャンプに参加してブルペンで目慣らしをします。若手審判員はそれこそ毎日300球から400球、ボール、ストライクの判定練習をするのです。全盛期の岩瀬投手のスライダーとシュートの切れ、ストレートの質は凄かったです。 ベテラン審判員でも岩瀬投手の「外角際どいコースのスライダーとストレート」の、ボールとストライクの出し入れのジャッジが10球できたら、そのシーズンは大丈夫だなという自信がついたほどです。 審判員は、若手は動体視力はいいが、経験値にまだ乏しい。ベテランはその逆です。その兼ね合いも、キャンプでの練習として大事なのです。 岩瀬仁紀 ●1974年11月10日生まれ、愛知県出身。181センチ、84キロ。左投げ左打ち ●西尾東高→愛知大→NTT東海→中日(1998年ドラフト2位~2018年) ■通算20年=1002試合59勝51敗82ホールド407セーブ、防御率2.31 ■最多セーブ5度、最優秀中継ぎ投手3度 ■オールスター出場10度 ■主な記録=通算登板1002(先発1)、通算セーブ日本記録407、シーズン46セーブ(セ・リーグ最多タイ)、15年連続50試合登板