前兆は2度の「M8級大地震」だった…歴史上“最新”の「富士山大噴火」の地獄絵図 「黒雲が空一面を覆い、蹴鞠ほどの火山岩が降り注いだ」
かつて「富士山は休火山」と聞いた世代も多いだろう。だが、1979年に「死火山」とされていた木曽御嶽山が噴火。現在は「休火山」「死火山」という言葉自体が使われていない。加えて、富士山の地下で低周波地震が観測されるなど、現在は噴火の可能性を秘めた「活火山」とされている。 【写真】今年も何かと話題だった富士山…「目隠しコンビニ」の現在は? 富士山が噴火する可能性は大地震発生のたびに注目される。歴史上最後の噴火は317年前、1707(宝永4)年の「宝永大噴火」だ。発生日の11月23日は新暦で12月16日。先に“予兆”のような大地震が2度発生していたというこの大噴火を、当時の文献や専門家の解説をもとに振り返る。 (全2回の第1回:「週刊新潮」2007年12月13日号「300年前の悪夢『富士山』宝永の大噴火」をもとに再構成しました。文中の役職等は掲載当時のままです。敬称一部略) ***
前兆は4年前に発生した大地震
600年余の眠りを破って、富士山が大爆発を起こしたのは、宝永4年11月23日(新暦1707年12月16日)。噴火は、月をまたいで16日間続き、12月9日になりやっと終息をみた。 前兆はあった。遡ること4年前の元禄16(1703)年、奇しくも大噴火と同じ11月23日の午前2時頃、南関東地方をマグニチュード8.2の大地震が襲ったのである。関東大震災がマグニチュード7.9だったことを思えば、いかに大きかったかがわかる。 震源は相模トラフ沿い。大きな被害を受けたのは、現在の小田原市周辺だった。 〈小田原城本丸・天守・二の丸屋敷と武家屋敷も町家も残らず倒壊し、さらに出火によって倒潰した屋敷・家屋が焼失したという。「小田原は江戸の十倍も強く揺れた」とあるから、その被害は甚大であった〉(『神奈川県史』) 揺れは北は釜石から南は紀伊半島まで及び、大津波が次々に海岸を襲った。鎌倉には高さ8メートル、伊豆には12メートルもの大きな津波が押し寄せた。全壊流失家屋は合わせて2万8000戸、死者数も桁外れだった。 〈関東八か国で死者二〇万人以上を出したといわれる〉(『小田原市史』)