受験で予想外の不合格...10代が挫折を乗り越えるための禅の言葉
元輝くんに贈る禅語:「随処作主」
「随処作主(ずいしょさしゅ)」 古人云、 向外作工夫、総是癡頑漢。 爾且隨處作主、立處皆真。 ――臨済義玄『臨済録』 (現代語訳) 昔の人は言った。 自分の外側にあるものに向かってあれこれと努力するのは、まったくの愚か者である、と。 どこにあっても自分に主体性を持ち、与えられた場所で本気で物事と向きあえば、それが真実の姿となる。
解説:自分の居場所は、自分で作る
このご時世、一生のうちで一度も試験というものを受けたことがない、という人は少ないと思います。早い人では幼稚園から、遅くとも大学までには一度は受験して学校を決めることになるでしょう。 どんなに努力したって、結果は合格か不合格のどちらかなのだから、残酷なものです。何度かチャンスが与えられている場合もあるでしょうが、それだってすべてうまくいくとは限りませんからね。人生で乗り越えなければならない壁の一つでしょう。 乗り越えなければならないものは、受験以外にもたくさんあります。資格試験や就職、転職、結婚などなど...。先に出たNBAのバスケットボール指導者・フィル・ジャクソンも「Your problems never cease. They just change. あなたの課題は尽きない。ただ変化していくだけだ」と言っています。 自分の希望通りの結果にならないことがあるかもしれません。元輝くんの場合は第一希望の学校には行けず、第二希望かそれ以外の学校に入学することになるでしょう。
受験に失敗したら人生終わり?
四月からの風景は、自分が思い描いていたものとちがった...。だからといって、それで元輝くんの人生は終わってしまったのでしょうか。 まさか、そうではありませんね。試験に不合格だった直後は、大きなショックでどうしてよいのかわからなくなってしまうかもしれませんが、学校には行かねばなりません。勉強も続けなければなりません。 新しい学校に行ってから、「ここは僕の第一希望ではなかった。本当は〇〇校に行くつもりだったんだけど...」と言うのはやめにしましょう。だって、なんだかんだ言っても、自分を合格させてくれた学校ですし、その学校を目指して勉強してきた人もたくさんいるはずですから。 とにかく、どうあがいたって、決まった学校に行くしかないのです。 それを、「本当はこんな学校に行きたくなかった」と思うよりも、「この学校とすっごく縁があった!」と思ってみませんか。 「この学校の先生や友達と出会うために、第一希望に行けなかったのだ。それほど、この学校と自分との縁が強いのだ」と思ったら、学校生活が楽しみなものになってきませんか?「随処に主と作る」とは、「どこにあっても自分に主体性を持つ」ということです。場所がどこであれ、主人公は自分です。学校が主人公なのではありません。 「自分の外側(周囲の環境)にある学校」についてあれこれと文句を言ったり評価したりするのではなく、与えられた場所でしっかりと自分自身を研磨するしかないのです。卒業するときの達成感をできるだけ大きなものにできるよう、前向きにエネルギーを使いましょう。 もしかしたら部活に燃えることになるかもしれない。生徒会長を狙ってみるのもいいかもしれない。毎日自分らしく努力していれば、ステージ(学校)は問題ではないと気がつくでしょう。自分の居場所は自分で作るのです。