ホンモノ?ニセモノ?誰が決めるの? 贋作騒動「日本の作品、俺が描いた」と豪語する画家が投げかける問い
事件の公判では、裁判長がベルトラッキ氏の贋作計画を「極めて綿密に整理され、軍事的な精緻さと言える」と指摘した。 ▽ただ楽しかった。そして全てを失った なぜ贋作に手を染めたのか?ベルトラッキ氏は、調査研究も含め「絵を描くのが楽しかったからだ」と語る。罪を追及されたとき「もし判決で絵を描くのを禁じられたら…」などと考え、恐れを抱いた。そこで初めて、自分がどれほど絵を描くことに依存していたかを自覚したという。 ドイツ西部ヘクスターで教会の宗教画を修復する父の下に生まれたベルトラッキ氏は、幼い頃から父の仕事を手伝って育った。12歳のとき、ピカソの作品を模写した上で、独自の要素も描き加えた。そのとき既に、技量は父を追い抜いていた。 青年期は酒や薬物におぼれ、しっかりとした美術の教育は受けていない。だが生い立ちの影響か、ベルトラッキ氏は、自身が絵筆の動きや細かな技法といった絵画の「本質」を捉えることにたけていたと振り返る。
多くの鑑定士や美術館をだまし、美術界の信頼や権威を失墜させたベルトラッキ氏には、恨み言が今でも絶えず向けられる。だが本人は「既に償った。全てを失ったんだ。今は新たな人生を生きている」と意に介さない。ベルトラッキ氏からすれば、贋作を通じて巨額の利益を得た美術界全体が共犯者に見えるのかもしれない。 ▽本物と「精巧な偽物」の違いは? 興味深いことに、日本にあるローランサン作とされる肖像画については、所有者が「真作と考えている」と主張しており、ベルトラッキ氏の告白内容と真っ向から対立している。誰がどちらを本物だと認定するのか、そもそもそんなことが可能なのか。誰にも今後を見通せなくなっている。 ドイツの哲学者ベンヤミンはかつて、芸術作品のオリジナルだけが持つ唯一性や真正性を「アウラ」という言葉で表現した。どんなに精巧に近づけても、決して到達できないのがアウラだ。 ベルトラッキ氏はこれを「たわ言だ」と一蹴。「唯一の芸術作品などない」とあざ笑うように言ってのけた。
現代では、生成AI(人工知能)が飛躍的に発展している。著作権の侵害や偽情報の拡散などが懸念されている中で、そもそも何が本物と偽物を分け隔てるのだろうか。 気がつけば、夫妻へのインタビューは3時間以上に及んでいた。美術界を揺るがせ続けている絵画偽造事件の当事者の言葉は、私たちにより根源的な問いを投げかけているように思えた。