ホンモノ?ニセモノ?誰が決めるの? 贋作騒動「日本の作品、俺が描いた」と豪語する画家が投げかける問い
率直な語り口からは、傲慢さは感じられなかった。制作の様子やアトリエにあった作品群を見ていると、独創的な世界観に引き込まれるようだった。 ▽左利きの画家なら自分も左手で ベルトラッキ氏の贋作については、その手の込みようが特筆される。まずは、手法を装う画家の著作や手記を読み込み、生活や制作環境といった周辺情報の「調査研究」に相当な時間を費やす。その後、実際の絵画を観察し「絵筆の動きを見る」。そうして画家と「同化」していくという。例えば、左利きの画家の場合は、自分も左手で描く。 既にある作品はコピーせずに、画家が描きそうな絵や、タイトルだけ文献などで知られているが実物は未発見、という絵を独自に描き上げる。 贋作を始めたのは1970年代から。17~20世紀の約120人の画家を装い、およそ300点の贋作を描いたという。 販売は主に妻ヘレン氏らが担った。ユダヤ人の祖父がナチス・ドイツの迫害を逃れる際に隠していた美術品を相続したとの「架空の物語」をでっち上げ、巧みな話術で信じさせた。のみの市で購入した古いカメラや印画紙を用い、絵が映り込んだ写真を撮って説得力を持たせ、鑑定士の目もあざむいた。
その後は競売大手に取引を一任した。「直接販売したことはない」ため、買い手が誰なのかは知らないという。ただ1980~90年代には、欧州各地で日本人が多くの美術品を買い付けていた。ベルトラッキ氏は、自身が把握している3点の他にも「日本にはまだ多くの作品があるはずだ」との見方を示した。 ▽塗料のチタンが決め手に ベルトラッキ氏の贋作が初めて発覚したのは2008年にさかのぼる。280万ユーロで競り落とされた例のカンペンドンク作とされる絵が、分析調査にかけられたことが発端だった。結果、塗料から微量のチタンが検出された。 絵は1914年作とされていたが、チタンが使われ始めたのは1920年代以降だ。これをきっかけにうそが芋づる式に暴かれ、ドイツの捜査当局がベルトラッキ氏や妻らを逮捕するに至った。 ただ大半が時効で、14点についてのみ訴追された。計300点に及ぶとされる贋作もいまだ100点ほどしか回収されておらず、残りは所在不明だ。ベルトラッキ氏によると、17世紀の作品だと偽った絵画はまだ1点も見つかっていない。