“大谷翔平選手を超える”避難所生活の野球少年 能登半島地震から半年
濱野竜佑さん 「こちらが自分の部屋になります」 斎藤キャスター 「ここが竜佑さんの部屋ですか。おじゃまします」 両親と妹、祖父母、近所の人、合わせて10人が暮らすこの場所が、竜佑さんの今の自宅。竜佑さん専用のスペースは、わずかな範囲です。 濱野竜佑さん 「こういう感じで寝ます」 もともと、珠洲市内の一戸建てに家族6人で住んでいた竜佑さん。しかし、自宅は半壊。雨漏りで家の中はぐちゃぐちゃの状態になり、現在、竜佑さん一家は仮設住宅の入居待ちをしています。 斎藤キャスター 「今まで住んでいた自宅と、ここでの違いはどんなことがありますか?」 濱野竜佑さん 「狭いのと、ぐっすり眠れるか眠れないか(が違う)。家に帰りたいです」 斎藤キャスター 「やっぱり」 元日の地震は、小学生から日常を奪いました。
一家には、自宅以外にも頭を悩ませていることがあるといいます。 斎藤キャスター 「こちらですか?」 竜佑さんの父 濱野由輝さん 「そうです」 竜佑さんの父・由輝さん。珠洲市ですし店を営んでいました。 竜佑さんの父 濱野由輝さん(52) 「(正月の飾り付けが)そのままになっていますね」 創業から50年以上、由輝さんが父親と続けてきた大切なすし店は、大規模半壊と認定されました。自宅に加え店の被害。国などの支援金の制度はありますが、建て替えや修理代を賄うには到底足りないといいます。 斎藤キャスター 「50年以上続いてきたこのお店がなくなってしまう、すごくさみしいことだと思うんですけど」 竜佑さんの父 濱野由輝さん 「ずっと悩んでは、どうしようかどうしようかと考えて」 斎藤キャスター 「何か結論は出ましたか?」 竜佑さんの父 濱野由輝さん 「結論はそうですね、とりあえず、今はちょっと(店を)しまおうかなと」 由輝さんは家族の生活のため、6月からスーパーで働きはじめました。