「抑止力を高める=戦争に巻き込まれる」は間違っている…今こそ改めて学ぶべき「80年前の日本の失敗」
■なぜ日本は失敗したのか ――『日米同盟の地政学』でも、日本的視点と第三者的視点の違いを説明されています。第三者的に俯瞰する目を持たず、日本的視点のみに拘泥していると、状況を客観視できなくなり、希望的観測や自分たちの都合による選択を排除できなくなってしまう、と。 【千々和】これも「歴史に学ぶ」ことにつながりますが、日本は過去に、日本的視点しか持てなかったことで失敗しています。終戦直前の日本は本土決戦を決意しつつも、ポツダム宣言の内容を少しでも有利な条件にすべく、ソ連の仲介に頼ろうとしました。日本は日ソ中立条約を結んでいたので、まさかソ連が対日参戦するとは思いもよらなかったのです。 しかし現実は全く逆で、1945年2月のヤルタ会談の時点で米ソのあいだでソ連の対日参戦は約束されたものであり、実際に1945年8月9日にソ連は満州に攻め込みました。ソ連の動きや狙いを把握し、本国に警鐘を鳴らしていた外交官もいましたが、当時の日本政府は現実を直視せず「そうあってほしい」という願望に縋り付いてしまったのです。 ■みんなが賛成してくれる案でなければ前に進めない もう一つの誤りは国内政治的な都合にあり、明治憲法の定める統治システム上、米英との直接和平に反対していた陸軍を含めて「みんなが賛成してくれる案でなければ前に進めない」という事情がありました。 しかしそれはあくまでも国内事情であって、国際社会の動きとは全く関係ありません。こうした、日本側の願望や事情を国際社会にそのまま持ち出してしまった結果が、ソ連仲介策の失敗だったと私は捉えています。 あの戦争の失敗には様々な面があります。日本人は失敗から学び続けなければならないと思いますが、それは単に「軍国主義化して破綻した」ことだけではありません。 ――「日本さえ軍事力を持たずにおとなしくしていれば、戦争は起きない」と閉じこもる姿こそ、客観的に見れば「日本的視点にのみこだわった一国平和主義的なもの」「ある種の楽観主義」だと言えそうです。 【千々和】ソ連仲介策に縋り付いてしまった「戦争の出口における失敗」や、「日本一国の事情に囚われた結果、生じた失敗」にも目を向ける必要があるのではないかと思います。