村井理子 認知症の義母がヘルパーさんとの浮気を疑い、義父の額にリモコンを振り下ろした。そして最も避けたかった「義父母の介護」を決めた理由
◆怒りの発作 義母の認知症の初期段階で顕著だったのが、この「怒りの発作」だ。 週末のある日、突然わが家にやってきたかと思うと、私たちの態度が悪いと怒りはじめ、乗ってきた車にすぐさま戻り、急発進させて帰っていったこともある。引き留めようとした夫はもう少しで義母の車に轢かれそうだった。 運転中に道に迷ったり、スーパーの駐車場で車を擦るといったトラブルも同時に増えたため、免許の返納と車の廃車を打診したが、とても強い抵抗にあったのは言うまでもない。ある日突然、目の周りに大きな痣(あざ)を作って帰宅したこともある。 あとから調べてわかったことだが、スーパーのレジで支払いをする際に店員さんと揉めて、店を飛び出し、その時に自動ドアに激突したとのことだった。 私がとても困ったのは、義母が知り合いに電話をして(2019年当時はまだ電話を使うことが可能だった)、自分の窮状を訴えるようになったことだ。 電話を受ける相手は義母が認知症だと知らないことが多く、「嫁にお金を盗まれた」「息子に家を乗っ取られる」といった義母の話に驚き、わが家に電話をしてくるパターンが増えた。その度に、実は……と説明すると、相手がようやく納得するということが何度かあった。 義母の介護を続けるうえで最初の難関となったのがこの「怒りの発作」で、その矛先は、ケアマネ、私、夫の3人に集中した。特にケアマネに対する強い怒りの感情は、申し訳ないことに現在でも続いている。 義母に認知症という診断が下されたことで、いよいよ本格的な介護の日々が始まってしまった。最初から何もかもうまくいったわけではなかったが、その都度、ケアマネからのアドバイスをうけ、怖々と、一歩一歩、踏み出す日々がスタートしたのだった。
◆義父母の介護をスタートさせた理由 最も避けたいと考えていた義理の両親の介護を私がスタートさせた理由は二つある。 まず一つ目。義母の認知症を確信した瞬間、すべてを目撃したいという好奇心が勝ってしまった。これは文章を書いて暮らしている人間の性のようなものだろう。 私は記録魔で、日々の暮らしで起きる様々なできごとを、その都度文章で残している。これはもちろん、あとから原稿を書くための習慣だ。 そんな多くの記録のひとつとして、義理の両親の老いを身近な場所から観察し、つぶさに記していくことを決めた。 そして二つ目は、「シスターフッド」(女性同士の連帯)だ。 認知症になった義母に対する義父の苛立ちに、完璧な主婦を失った現実への怒りが透けて見えた瞬間、スイッチが入った。 義母は長年にわたり、完璧な主婦として家族を献身的に支えてきた。そんな彼女の献身が、家事ができなくなったという理由で一気に清算されるなんてフェアじゃない。たかが家事ではないかと猛烈に腹が立った。 清潔な洗濯物を提供できなくなったから、料理を作ることができなくなったから、掃除ができなくなったからという理由で、それまでの彼女の人生を否定することなんて、誰にも許されないはず。 主婦失格の烙印を押されてしまった義母を後方支援できるのは、私しかいないだろうと考えた。 この二つが、全力で逃げたいと考えていた義理の両親の介護を、私がスタートさせた理由だった。 ※本稿は、『義父母の介護』(新潮社)の一部を再編集したものです。
村井理子
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