米国が独立にあたり目指したのは必ずしも民主主義ではなかった─建国当初からあったエリート対民衆の構図
※本記事は『民主主義とは何か』(宇野重規)の抜粋です。 【動画】著者の宇野重規による講義「民主主義入門」
純粋民主主義と共和政
すでに述べたように、「建国の父」たちは大地主や、弁護士といった知的職業に就く人々がほとんどでした。彼らは、植民地の上層に位置する人々であり、シェイズの反乱のような動きに対してはきわめて警戒的でした。この反乱は貧しい農民中心の反乱で、独立戦争の退役軍人ダニエル・シェイズを指導者とするものです。彼らは貧困に苦しみ、債務から刑務所に入れられる人も少なくありませんでした。 独立の大義に尽くしたのに、自分たちはなぜこのような債務に苦しまなければならないのか。そのような不満が、彼らを税と負債の軽減を求める運動に駆り立てました。それはあたかも、ソロンの改革の際のアテナイにおける債務奴隷問題を思い起こさせる状況でした。 これに対し、フィラデルフィアの憲法制定会議に集まった人々は、このような民衆の急進的な動きに対して脅威を感じる上層階層に属していました。後で触れるように、彼らは立法権の拡大に対して警戒的でしたが、その一因は、貧しい人々の声を背景に、立法権が巨大な力をもつことに対する不安にありました。とくに各州政府によって個人の所有権が侵害されることへの危惧が、より強力な連邦政府の樹立へと彼らを後押ししたのです。 興味深いのは、このような「建国の父」たちが、民主主義に対していかなる態度をとったかです。一例として、前述した『ザ・フェデラリスト』を取り上げてみましょう。この第10篇では、純粋な民主政(pure democracy)が共和政(republic)と対比されています。著者たち(第10篇を執筆したのはマディソン)によれば、純粋な民主政とは、市民が直接集まって政府を運営する国家です。 このような国家では、人々の共通の利益や感情が協力と団結を生み出しますが、反面、多数派によって少数派の利益が犠牲にされることがあります。古代の都市国家がそうであったように、激しい党派争いも起こりがちです。結果として民主主義の国家は不安定であり、個人の安全や財産権を保障することができないと説きます。 これに対し、共和政とは代表制を取り入れた政治体制を意味します。結果として、間接民主主義を通して選ばれた少数の市民が政府を運営します。そのような市民は、国にとっての真の利益、すなわち公共の利益をよく理解しているでしょう。さらに、純粋な民主政は小国にしか向きませんが、代表制を取り入れた共和政ならば、より大きな国家においても実現可能です。このようにして『ザ・フェデラリスト』の著者たちは、純粋民主政ではなく、共和政こそを選ぶべきだと読者に奨めたのです。 ちなみに第10篇では、小国レベルでは排除しきれない派閥の弊害を、連邦政府によって緩和することを論じている点でも有名です。人間社会、とくに自由な社会においてはどうしても派閥が生まれます。これが小国レベルでは致命的になるのに対し、大国、とくに連邦政府の下では一定程度、抑制することが可能です。なぜなら地方ごとに有力な派閥が異なるため、連邦レベルではそれらが相殺し合い、結果として公共の利益に近づくからだとマディソンは主張します。後の多元主義論につながる有名な議論ですが、純粋民主政を否定し、共和政を擁護する文脈における議論であることが注目されます。 古代ローマのところでも触れましたが、共和政(republic)と民主政(democracy)を対比的に捉える伝統があるとすれば、独立期のアメリカは、まさにその典型であるといえるでしょう。少数の人々(=エリート)によって公共の利益を目指す政治と、より多くの人々の政治参加によって多数者の利益を目指す政治を対比する二分法は、現在のアメリカの共和党(Republicans)と民主党(Democrats)という二大政党の名称にまでつながっているといえます。いずれにせよ、アメリカの独立を指導した人々が民主主義的であったかについては、疑問が残ります。