米国が独立にあたり目指したのは必ずしも民主主義ではなかった─建国当初からあったエリート対民衆の構図
代議制民主主義が「常識」になる
「建国の父」たちが理想としたのは、「高い知性を持つ、有徳な人々」による共和国でした。人民の直接的な政治参加には消極的であり、すでに指摘したように、上院議員は州議会によって選ぶこととし、大統領を選ぶにあたっても、直接選挙ではなく、大統領選挙人を通じた間接選挙を採用しました(現在では、国民が選挙人を選ぶことで、実質的には直接選挙に等しくなっています)。 その意味でいえば、アメリカ合衆国が、その建国から「民主主義の国」であったというには、いくつかの留保が必要でしょう。たしかにアメリカ独立を導いたのは、独立宣言がいうように、「すべての人間は生まれながらにして平等である」という理念でした。この理念は、アメリカの歴史を貫いて作動し続けたドライビング・フォース(駆動力)であり、その過程を通じて、より多くの人々が「人間」に包摂されるようになります。 とはいえ、建国の時点では、黒人奴隷が存在し、女性の参政権も認められていませんでした。また、「建国の父」たちは、人民の直接的な政治参加の拡大にはあくまで警戒的でした。そのための代表制であり、立法権を抑制するための複雑な三権分立の仕組みでした。 そもそも、建国期のアメリカにおいて「民主主義」という言葉がとくに積極的に使われたわけではありません。彼らが好んだのはむしろ、共和政や共和国を意味するRepublicでした。その限りにおいて、アメリカ独立をもって、近代における民主主義の大きな出発点というには、どうしても躊躇してしまうのです。 むしろ、民主主義の歴史を追う本書にとって注目すべきは、直接参加による純粋な民主政は小規模な社会にしか適さないし、可能であるとしても不安定さを免れないというイメージを確立したのが、「建国の父」たる『ザ・フェデラリスト』の著者たちであったということです。あるいは少なくとも、その有力な起源の一つであったということです。 さらには、代表制を伴う共和国の方が大国にも適応可能な上に、派閥の弊害を除去する点でも優れているという政治学の「常識」を打ち立てたのも、彼らの影響でした。結果として、私たちは、代議制民主主義こそが、近代の領域国家において唯一可能な民主主義であると信じて疑わなくなっているのです。(続く) 米国独立の指導者たちは、必ずしも民主主義を好ましいものと思わなかった。それではなぜ、民主主義が米国の根幹をなす価値観とみなされるのか。米国の民主主義を発見したフランス人貴族が見たのは、中央政府とは異なるところにある一般の人々の意識だった。(第3回に続く)
Shigeki Uno