宮川花子会見(全文2)大助「嫁はんに『余命6か月です』...そこからのスタートでした」
医師「その時点では決して余命半年ということではなかったんです」
大助:これからのビジョンは? 花子:まだ早い。なんやの自分だけやり終わったら水飲んで。今日は先生と二人で良かった。毎日いろいろ来てくれました。 天野医師:余命半年と最初に先生が言いはったのは、ガンの転移と考えはったんですよね。その組織をとってませんでしたので、どっかにガンができてて、脊髄に転移していたら余命半年じゃないかということで、そういうご説明をされたと思います。実は血液の病気で、2か所しか病院ありませんでしたので、その時点では決して余命半年ということではなかったんです。だから、それは誤解のないように説明させていただきたいんです。血液のがんというのは、ほかのガンとくらべると化学療法が反応しやすいので。だた、5か月間、治療を放置されていて、来られた時の時点では、本当にもう余命半年であるかないかとかは考えられる状況だったと思います。 花子:病院に入った時は意識不明状態だったんで。ちょっと仕事次の日、桂きん枝さんが、小文枝を襲名するので行く予定で関東にいてて、弟子が迎えに来て車で。8時間以上かかったんですよね奈良まで。トイレもできない、なにもできない朦朧の状態で。きょうも来ながら言ったんですけど、病院に着いた時「生きてて良かった」と思いました。でも意識はなかったんです。気がついたら病室にいてました。毎日大助くんが、カーテンを開けるたびに「生きとかなあかん、生きとかなあかん」と思いました。晩に寝るのが怖かったですね、次来た時に、生きとかなと。カーテンを開けた時にそうなったらアカンから、絶対それは思ってました。
悪い結果を皆さんに報告するわけにいかへんから
大助:今回記者会見やろうと思ったきっかけは? 花子:退院とか復帰はまだまだやし、みんなどないなってんねやろうというのはあったし、いまお弟子さんとか、いま横でずっと看病してる子にいつか言わなあかんなと思ってたんですよ。師匠方にも代わりに代演で劇場や仕事に行ってくださってるのでいつか言わなあかんと思ってて。きょう会見するから、その前にお知らせしますということで、3日前くらいから師匠方にお電話させていただきました。西川のりおさんから「大丈夫やないか、俺らはな戦友や。ともに戦っていくんや大丈夫や」。「お兄さんすんません、相方のよしおさんにも伝えてもらえますか」と言うたら「当たり前や、俺しゃべりやねんで。相方どころかみんなに言いふらすわ」と言うてくれはって、たぶんほかの人に伝わったんは、のりおさんからだと思います。でも会社はすごいな。誰も言わんかった。今回、本当に病院側も会社側も全部 大助:おさえてもらっとったもんな。どこでなにが起こる状態がわからんかったんで 花子:だから最初に発表しなかったんはそこなんです。もし最初に発表して、悪い結果を皆さんに報告するわけにいかへんから。とりあえず、自分の体で助かるでというのがあるので、そこの戦いはありました。